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== 経歴 ==
=== 幼少期から、クイーン参加入まで ===
[[レスターシャー]]の[[:en:Oadby|オードビー]]に生まれ育つ。7歳の時頃に両親から買い与えられた、おもちゃの[[ギター]]から音楽に興味を持ちだすつ。音楽と並行して機械いじりにも興味を示し、無線装置などで遊んでいたという。この機械に対する興味が、後々、彼の進路と音楽活動に影響を与えることになる。新聞配達で稼いだ金銭で[[アコースティック・ギター]]を購入したのが本格的な音楽活動の第一歩である。14歳から"「ジ・オプジション"」というバンドにリズムギターで加入するが、そこにいた[[ベーシスト]]がバンドのレベルに次第についていけなくなったため脱退。ジョし、ディーコンがベースに転向することになる。後に同じ名前のバンドが現れたため、"「ザ・ニュー・オプジション"、」さらに"「ジ・アート"」という名前に改名することになる。このバンドはジョディーコンが[[ロンドン大学]]のチェルシー・カレッジ{{enlink|Chelsea_College_of_Science_and_Technology|a=on}}電子工学科に入学するまで続けられた。大学に入ってからは学業に専念し、チェルシー・カレッジを首席で卒業、名誉学位を与えられる。
ジョディーコンは大学在籍時から友達人と趣味程度のバンドを組むようになるが、数回の活動で終わってしまう。その後、いくつかのバンドのオーディションを受けるがすべて落選。そうした中、[[1971年]]1月に友人のクリスティン・ファーネルと行った[[ディスコ]]で、[[ブライアン・メイ]]と[[ロジャー・テイラー]](この2人もクリスティンファーネルの友人であった)に会い、ベーシストが定着していなかった[[クイーン (バンド)|クイーン]]のオーディションを知らされる。その後、面接を受け、採用されることになるのだが、採用の決め手は、ベースの腕前もさることながらジョ、ディーコンが謙虚な人柄で(脱退したベーシストたちらは自己主張が強かったという)、機械に強かったからだと言われている。
=== クイーン内での役割 ===
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