「ジョン・ディーコン」の版間の差分

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== 経歴 ==
=== 幼少期からクイーンまで ===
[[レスターシャー]]の[[:en:Oadby|オードビー]]に生まれ育つ。7歳のに両親から買い与えられたおもちゃの[[ギター]]から音楽に興味を持ちだす。音楽と並行して機械いじりにも興味を示し、無線装置などで遊んでいたという。この機械に対する興味が後々彼の進路と音楽活動に影響を与えることになる。新聞配達で稼いだ金銭で[[アコースティック・ギター]]を購入したのが本格的な音楽活動の第一歩である。14歳から"ジ・オプジション"というバンドにリズムギターで加入するが、そこにいた[[ベーシスト]]がバンドのレベルに次第についていけなくなったため脱退。ジョし、ディーコンがベースに転向することになる。後に同じ名のバンドが現れたため、"ザ・ニュー・オプジション"、さらに"ジ・アート"いう名前に改名することになる。このバンドはジョディーコンが[[ロンドン大学]]のチェルシー・カレッジ{{enlink|Chelsea_College_of_Science_and_Technology|a=on}}電子工学科に入学するまで続けられた。大学に入ってからは学業に専念し、チェルシー・カレッジを首席で卒業、名誉学位を与えられる。
 
ジョディーコンは大学在籍時から友と趣味程度のバンドを組むようになるが、数回の活動で終わってしまう。その後いくつかのバンドのオーディションを受けるがすべて落選。そうした中、[[1971年]]1月に友人のクリスティン・ファーネルと行った[[ディスコ]]で、[[ブライアン・メイ]]と[[ロジャー・テイラー]](この2人もクリスティンファーネルの友人であった)に会い、ベーシストが定着していなかった[[クイーン (バンド)|クイーン]]のオーディションを知らされる。その後面接を受け採用されることになるのだが、採用の決め手はベースの腕前もさることながらジョ、ディーコンが謙虚な人柄で(脱退したベーシストたちは自己主張が強かったという)機械に強かったからだと言われている。
 
=== クイーン内での役割 ===