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[[1989年]]、彼らのロンドンでの始めてのギグを見た[[4AD]]のオーナー、アイヴォ・ワッツ=ラッセルはその場でバンドと契約を結ぶ。同年9月には[[コンパクト盤|EP]]『Barging Into the Presence of God』でデビュー。この頃から[[ノイズポップ]]的なアプローチが目立つようになる。同年、ライヴのみでのギタリストとしてアシュリー・ホーナーが参加。
 
[[1990年]]2月、プロデューサーに[[ギル・ノートン]]とジョン・フライアーを迎えて制作された1stアルバム『狂気のやすらぎ』(原題:The Comforts of Madness)をリリースし、全英チャート40位にランクイン。インディーズチャートでは1位を獲得する。アルバムリリース後、元[[ラッシュ (イギリスのバンド)|ラッシュ]]のオリジナルメンバーであったメリエル・バーハムがギターボーカルとして加入し、バンドはツインボーカル体制に移行。同年10月にはEP『Half-Life』をリリースする。表題曲"Half Life Remembered"では、当時流行していた[[マッドチェスター]]を意識したアプローチも見られた。
 
翌[[1991年]]にかけては同じ4ADの先輩格である[[ピクシーズ]]のツアーにサポート・アクトとして同行したほか、2月には[[福岡市|福岡]]、[[京都府|京都]]、[[大阪府|大阪]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[東京都|東京]]、[[札幌市|札幌]]をめぐる来日ツアーを果たしている。同年6月、EP『Flesh Balloon』をリリース。[[ナンシー・シナトラ]]のカバーである"Kinky Love"がマイナー・ヒットとなる。