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<!-- 基本情報 -->
| 名前 = ディック・バトン
| ラテン文字 = Richard TottenDick Button
| 画像 = [[File:Dick Button at 1980 Winter Olympics.jpg|250px]]
| キャプション = 1980年冬季五輪にて
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{{MedalCompetition|[[オリンピックフィギュアスケート競技|オリンピック]]}}
[[File:Olympic rings with transparent rims.svg|center|80px]]
{{MedalGold|[[1948年サンモリッツオリンピック (1948年) におけるフィギュアスケート競技|1948 サンモリッツ]]|男子シングル}}
{{MedalGold|[[1952年オスロオリンピックにおけるフィギュアスケート競技|1952 オスロ]]|男子シングル}}
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{{MedalSilver|[[1947年世界フィギュアスケート選手権|1947 ストックホルム]]|男子シングル}}
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{{MedalGold|[[1948年ヨーロッパフィギュアスケート選手権|1948 プラハ]]|男子シングル}}
}}
'''リチャード・トットン・"ディック"・バトン'''(Richard Totten "Dick" Button, [[1929年]][[7月18日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ニュージャージー州]][[イングルウッド (ニュージャージー州)|イングルウッド]]出身の[[男性]]、元[[フィギュアスケート]]選手で、現スケート解説者。[[1948年[[サンモリッツオリンピック (1948年) におけるフィギュアスケート競技|1948年サンモリッツオリンピック]]、1952年[[1952年オスロオリンピックにおけるフィギュアスケート競技|1952年オスロオリンピック]]男子シングル金メダリスト。1948年より[[世界フィギュアスケート選手権]]で5度の優勝。引退後は解説者を務める。オリンピックおよび世界選手権には本名のリチャード・バトン(Richard Button)として選手登録していた
 
== 経歴 ==
* 1946年より1952年まで[[全米フィギュアスケート選手権]]7連覇。
* 1947年、1949年、1951年と[[北米フィギュアスケート選手権|北米選手権]]3連覇。
* 1948年の[[1948年サンモリッツオリンピック (1948年) におけるフィギュアスケート競技|1948年サンモリッツオリンピック]]で金メダル獲得。この時バトンは18歳202日でフィギュアスケート男子シングル史上最年少の金メダリストでもある<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/15/kiji/K20140215007592490.html 羽生、悲願の金メダルも…第一声は「すいません、ホントに」] スポーツニッポン 2014年2月15日閲覧</ref>。
* 1948年[[ヨーロッパフィギュアスケート選手権]]優勝。当時の[[ヨーロッパフィギュアスケート選手権]]はヨーロッパ以外の国の選手も参加が許されていたが、女子シングルでも[[カナダ]]の[[バーバラ・アン・スコット]]が優勝したため、これ以後ヨーロッパ以外の選手の参加は許されなくなった。
* 1948年から1952年まで[[世界フィギュアスケート選手権]]5連覇。
* 1952年[[1952年オスロオリンピックにおけるフィギュアスケート競技|1952年オスロオリンピック]]で2大会連続の金メダル獲得。2連覇。
* 1976年[[世界フィギュアスケート殿堂]]入り。
 
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! 1951-52
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