「ジャガー (自動車)」の版間の差分
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イーガンは時代遅れは乱れた生産体制や経営の改革に着手し、作業員の意欲向上、ジャガー本体のみならず取引先メーカーから納入されたパーツ類への厳格な品質チェックの実施<ref group="注釈">ジョン・イーガンはジャガーのトップに就く前は[[マッセイ・ファーガソン]]のパーツ担当重役だった</ref>、経営側と社員側が品質向上のため直接話し合うという[[日本]]企業並みの[[品質管理]](QC運動)<ref group="注釈">厳格な階級制度が残る当時のイギリスにおいて、この手法はまさに革新的であった</ref>、販売手法の刷新と顧客からのフィードバック反映、そして経営の[[リストラ]]を推し進めた<ref>『ワールド・カー・ガイド 12 ジャガー』 104頁より。</ref>。この改革はすぐに結果となって表れ、ジャガーの品質は改善し生産台数も急回復した。
そしてその後の1984年、[[保守党 (イギリス)|保守党]]の[[マーガレット・サッチャー]]首相による民営化政策によって、ジャガーは再び民営化された。抜本的な体質改善に成功したジャガーは
また、1975年に
なおウィリアム・ライオンズは1985年に86歳で[[死亡|死去]]し、XJ40はライオンズが承認した最後のモデルとなった<ref>『ワールド・カー・ガイド 12 ジャガー』 106頁より。</ref>。ジャガーの立て直しに貢献したイーガンは、1986年に創業者のライオンズ同様に王室より「ナイト」の称号を授かる<ref>『ワールド・カー・ガイド 12 ジャガー』 106頁より。</ref>。
また、1985年からは[[世界耐久選手権]](WEC)に参戦し、1986年には[[ジャガー・XJR-8|XJR-8]]でシリーズチャンピオンを獲得、さらに[[ジャガー・XJR-9|XJR-9LM]]で31年ぶりに[[1988年のル・マン24時間レース]]に優勝し、かつての名声を取り戻すことに成功した。
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