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清朝末期の軍人として陸軍の近代化を進める役割を担いつつ台頭し、彼自身が作り上げた軍事力を背景に政治的にも大きな権力を振るい、欧米諸国では彼のことを「ストロング・マン」と呼んだ。その後一時失脚するが、[[辛亥革命]]の混乱の中で朝廷と[[孫文]]ら革命派との間で巧みに遊泳し、中華民国大総統となり、革命派を弾圧するとともに、インフラ整備や軍備の充実などの面から国家の近代化に当たった。さらに一時皇帝に即位したが、内外の反発を買って退位、失意のうちに没した。
 
精力絶倫で、一[[妻]]九[[妾]]との間に17男14女をもうけた。長男の[[w:zh:袁克定|袁克定]]は、[[吉野作造]]が家庭教師を務めた。父を補佐し、辛亥革命や、袁世凱の皇帝即位などにおいて数々の策謀を巡らせたとされ。さらも父亡き後は隠居してその生活は困窮を極め、[[中華人民共和国]]建国後[[章士釗]]の中央文史館で職を得た。次男の[[w:zh:袁克文|袁克文]][[崑曲]]家として著名な人物であるが、皇帝即位への反対で父の怒りを買って追われ、[[青幇]]の一員となった
 
また、大叔父の[[袁甲三]]は[[道光帝]]時代の[[進士]]で、その子が戸部侍郎・刑部侍郎を勤めた[[袁保恒]](袁世凱の従父)である。