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[[1999年]]、Jリーグ2部(J2)の川崎フロンターレに入団。日本には珍しい長身の[[ミッドフィールダー|ボランチ]]で、背番号「6」を与えられて[[開幕戦]]から先発メンバーとして出場した。シーズン途中は負傷により離脱したが、終盤戦に復帰してチームの優勝に貢献した。
 
チームがJ1に昇格した[[2000年]]にもレギュラーとなったが、5月の練習中に膝の靱帯を損傷し離脱。[[5月3日]]の[[ジュビロ磐田|磐田]]戦でJリーグ初ゴールと初退場を記録した直後の負傷で、さらに他の負傷なども重なって、公式戦復帰には約2年半を要した。以降、運動量が比較的少なくて済み、屈強な身体を活かせるディフェンダー(センターバック)に転向したが、度重なる怪我に悩まされ、ほとんど公式戦に出場できない日々が続いた。しかし[[2004年]]に復活を遂げ、寺田と同じく長身の[[伊藤宏樹]](183cm)、[[箕輪義信]](187cm)と組んだ長身3バック(通称・川崎山脈)は守備の安定に貢献した。
 
[[日本プロサッカー選手会|Jリーグ選手協会]]では2004年に川崎支部の会長、2005-06年には副会長を務めた。