「チャールズ3世 (イギリス王)」の版間の差分

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=== 政治的姿勢 ===
リベラルな発言・行動で知られており、特に[[中国共産党]]の[[一党独裁]]国家である[[中華人民共和国]]政府には冷ややかな態度をとっている。[[1997年]]の[[香港]]返還]]の際には、{{要出典範囲|date=2015年10月30日 (金) 07:10 (UTC)|チャールズが日記で[[中国共産党]]の{{誰範囲|date=2015年10月30日 (金) 07:11 (UTC)|上層部}}を「老朽した[[蝋人形]]のようだ」と表現していた}}ことが話題となった。[[1999年]]に中華人民共和国の[[江沢民]]国家主席がイギリスを公式訪問した際、チャールズ王太子は、中華人民共和国側が大使館で開催した答礼夕食会を意図的に欠席したとされている。
 
また、[[チベット問題]]には長年強い関心を寄せており、[[チベット仏教]]の最高指導者・[[ダライ・ラマ14世]]とも交流がある<ref>{{cite web|url=http://jp.epochtimes.com/jp/2008/02/html/d43018.html|title=英チャールズ王太子、北京五輪不参加|date=2008年2月9日|accessdate=2008年11月16日|author=大紀元時報}}</ref>。[[2008年]]1月には、世界の要人でいち早く、[[北京オリンピック]]の式典・競技に一切出席しない意向を民間団体に表明したことが明らかになった<ref>{{cite web|url=http://www.voiceofindia.co.jp/content/view/772/81/|title=英王太子、北京五輪出席せず。中国のチベット政策に抗議|date=2008年1月29日|accessdate=2008年11月16日|author={{lang|en|VOICE OF INDIA}}}}</ref>。同年3月に中華人民共和国が実効支配している[[チベット自治区]]において争乱が生じた際には、3月20日に5月頃ダライ・ラマ14世と会談することが公表された。