「李承晩」の版間の差分

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また{{要出典|範囲=李ラインの目的の一つには[[竹島 (島根県)|竹島]](韓国名:獨島)を自国領に取り込むということがあった
|date=2017年12月|title=「「平和線の譲歩は領土の縮小を意味する」という主張に対し、韓国の与党は、そのような主張は「大韓民国を国際的に嘲笑の種にして孤立化させる仕打ちとしか見ることができない」と強くたしなめねばならなかった(「韓日国交正常化問題-韓日会談に関する宣伝資料 補完版一」1964年)」(藤井賢二(島根県竹島問題研究顧問)/『「李承晩ライン」で韓国が繰り広げたこと』別冊正論「総復習『日韓併合』収録より)」 や 「「漁業保護水域」に竹島を新たに含ませたことへの言及を韓国側公開文書に見出すことはできない。」(藤井賢二/李承晩ライン宣言と韓国政府1)などの報告から「李ラインの目的の一つには竹島を自国領に取り込む」とする根拠が不明のため}}が、それは、[[サンフランシスコ条約]]の交渉文書である[[ラスク書簡]]において竹島を日本領と定めたことなど、今迄の経緯を無視する格好となった。李ラインの設定で韓国の実効支配下に置かれることとなった竹島の処遇は、現在に至るまで日韓の懸案問題になっている。領土問題に関しては、他にも{{要出典|範囲=[[対馬]]ばかりか[[沖縄県|沖縄]]までも韓国固有の領土と発言するなど、幾度となくマッカーサーから叱責を受けるほど日本を占領したいと発言していた。|date=2017年2月}}{{see also|竹島問題外交交渉史}}
 
対日関係は領土問題や李ライン絡み以外でもしばしば対立が起き、こと[[在日朝鮮人の帰還事業|北送事業(北朝鮮帰国運動)]]に関しては二度にわたる通商関係の中断<ref group="註釈">[[1955年]]8月 - [[1956年]]1月と[[1959年]]6月 - [[1960年]]4月。ただ、この通商関係の中断は外貨流出を防ぐ意図もあった。</ref>や予定されていた日韓会談を「日本は人道主義の名の下に北朝鮮傀儡政権の共産主義建設を助けようとしている」と非難して中止(1959年8月)するなど激しく反発した。そればかりか工作部隊を[[密航]]させ、北送事業を主導していた[[日本赤十字社]]施設の破壊や日本側担当者の[[暗殺]]、帰国船が入港する[[新潟港]]に通じる鉄道網の破壊を謀った<ref>[http://www.chosunonline.com/news/20110430000048 在日朝鮮人帰国事業の阻止に向け動いた工作隊(上)][http://www.chosunonline.com/news/20110430000049 (下)]朝鮮日報/朝鮮日報日本語版2011/04/30 13:55:23(2011年4月30日観閲)</ref>。