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== 生涯 ==
建州建陽県(現在の[[福建省]][[南平市]][[建陽区]])の人。兄の[[游醇]]とともに学問・実行で世に知られる。若い頃から天下の英傑の子と交わり、[[程頤]]が[[開封]]に来たときに游酢の賢明さを見て将来必ず大成することを予言したという。[[程顥]]が[[扶溝県]]の知事として赴任し、学校を開いて地方の子弟を教えた時に、游酢を招いて教授を担当させた。元豊6年([[1083年]])に進士に登第し、[[越州]]の
游酢は常に時弊を論じ、士風刷新の必要を唱えた。「論士風」では、礼儀廉恥がゆきわたらなければ国家の存立は危殆に瀕すると力説した。その門下には[[呂本中]]・[[曾開]]・[[陳侁]]がいる。
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