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| 死没 = [[享和]]3年[[1月14日 (旧暦)|閏1月14日]]([[1803年]][[3月7日]])
| 改名 = 定興→内藤信政
| 別名 = [[仮名 (通称)|通称]]:近江
| 諡号 =
| 神号 =
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'''上杉 定興'''(うえすぎ さだおき)は、[[江戸時代]]中期の[[武士]]。[[旗本]]・[[内藤信義]]の養子となり、'''内藤信政'''と名を改めた。
 
[[明和]]8年([[1771年]])、[[出羽国]][[米沢藩]]8代藩主・[[上杉重定]]の四男として誕生する
 
[[寛政]]元年([[1789年]])、19歳のときに[[上杉治憲]]より、治憲自身が作り[[細井平州]]が校閲した「学問大意」を与えられる。また、[[柳河藩]]家老[[立花通栄]](織衛)の所蔵文書の中に、寛政10年9月23日([[1798年]])作成の、上杉弾正大弼舎弟の近江が東都如来先生への遊学の際送られた書付がある。
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{{DEFAULTSORT:うえすき さたおき}}
[[Category:米沢藩の人物]]
[[Category:米沢上杉氏|さたおき]]
[[Category:内藤家 (信成系)]]