「襄東会戦」の版間の差分

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四月攻勢の情報を得た[[第11軍 (日本軍)|第11軍]]は、反攻を企図して集結した第5戦区軍に打撃を与えることにより、占領地域を安定確保し中国側の抗戦意思を挫折させることを目的に、「そ号作戦」の準備を開始した<ref name="rikugun363">『支那事変陸軍作戦(2)昭和十四年九月まで』、363頁。</ref>。この作戦では、中国軍部隊の撃滅、特にその中核兵団である第31集団軍(司令:湯恩伯)を目標としており、漢水東方地区の中国軍に打撃を与えたのち、反転して元の占領地域に復帰するというものであった。[[大本営]]は第11軍の作戦地域を前年12月2日に制限していたが、本作戦での一時的な越境を許可した<ref name="rikugun367-368">『支那事変陸軍作戦(2)昭和十四年九月まで』、367-368頁。</ref>。
 
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== 参加兵力 ==
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<table width="100%"><tr><td valign=top width="40%">
=== 日本軍 ===
*[[第11軍 (日本軍)|第11軍]] - 軍司令官:[[岡村寧次]]中将
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***[[騎兵第4旅団 (日本軍)|騎兵第4旅団]]、騎兵第17大隊、[[騎兵第20連隊]]など
**澄田支隊(第11軍砲兵隊主力を基幹に編成)
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</td><td valign=top>
=== 中国軍 ===
*[[抗日戦争第5戦区|第5戦区]] - 司令長官:[[李宗仁]]上将
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***第30軍(第30師、第31師)
***第68軍(第119師、第143師)
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</td></tr></table>
 
== 作戦経過 ==