「ミンスク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
90行目:
[[1654年]]、ポーランドの大動乱([[大洪水時代]])に介入した[[ロシア帝国|ロシア]]の[[ツァーリ]]、[[アレクセイ (モスクワ大公)|アレクセイ]]がミンスクを占領・支配するが、[[1667年]]に[[ポーランド王国]]の[[ヤン2世 (ポーランド王)|ヤン2世カジミェシュ]]が奪還する。[[1657年]]の[[ロシア・ポーランド戦争 (1654年-1667年)|ロシア・ポーランド戦争]]末期には、市の人口は2,000人にまで減少した。[[大北方戦争]]中は、まずスウェーデン王・[[カール12世]]の軍勢に占領され、次いでロシア皇帝・[[ピョートル1世]]の軍隊に占領される。ポーランド時代の末期は、ミンスクは、ポーランド人とユダヤ人が6,000人ほど住んでいるだけの小都市のまま発展が止まってしまう。
 
[[1793年]]の第2回[[ポーランド分割]]によって、ミンスクはロシアに併合される。ミンスク[[グベールニヤ]]([[ミンスク県 (ロシア帝国)|ミンスク県]])の中心都市になる。ポーランド語の地名はロシア風に置き換えられた。[[1812年]]には[[フランス]]軍がミンスクを一時占領。[[19世紀]]は、都市としてミンスクが整備された時代であった。大通りは舗装され、[[1836年]]には公立図書館も完成。[[19世紀]]後半に、ミンスクを経由するモスクワ・[[ブレスト (ベラルーシ)|ブレスト]]・[[ワルシャワ]]間の[[鉄道]]が開通、さらに[[ウクライナ]]方面への鉄道も開通し、ミンスクは重要な鉄道の分岐点として急速に発展した。[[1897年]]の人口は91,494人で、その半数近くが[[ユダヤ人]]であった。
 
[[第一次世界大戦]]では、戦闘の最前線となり、ロシア陸軍の前線基地も置かれ、多くの損害を被った。[[ロシア革命]]では、ミンスクでも[[ソビエト]]が発足、混乱する。[[ブレスト=リトフスク条約]]で[[ドイツ帝国]]の軍勢が進駐、[[ベラルーシ人民共和国]]が宣言された。直後に[[赤軍]]が侵攻、[[白ロシア・ソビエト社会主義共和国]]が宣言される。