「地下鉄サリン事件」の版間の差分

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*サリンパックを包んだ新聞は、[[広瀬健一]](丸ノ内線荻窪行)のものが新聞名不明のスポーツ紙、[[横山真人]](丸ノ内線池袋行)のものが[[日本経済新聞]]、[[豊田亨]](日比谷線東武動物公園行)のものが[[スポーツ報知]]、[[林泰男]](日比谷線中目黒行)のものが[[読売新聞]]、[[林郁夫]](千代田線代々木上原行)のものが[[しんぶん赤旗]]であったとされている<ref name="kami">[http://www.s-a-t.org/sat/sarin/951024k.html オウム裁判対策協議会/サリン事件の詳細な実態、および事件の謎/サリン事件にまつわる各種資料/1995年10月24日 冒頭陳述(中川智正)]</ref>。赤旗を使用したのは林郁夫の運転手役の[[新実智光]]が「駅で買えないような新聞のほうが面白い」と考えたためで、現場に向かう途中で総評会館の玄関から抜いて持ってきた。また一緒に[[聖教新聞]]を配達員からもらってきたが、オウムは度々「[[創価学会]]陰謀説」を唱えていたため、流石にこれはないということで、外側を聖教新聞、内側を赤旗とし、内側の赤旗とサリンだけを落とした<ref>佐木隆三『「オウム法廷」連続傍聴記2 麻原出廷』1996年 p.48</ref><ref>降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち下』 p.205</ref>。
 
*事件後、実行犯らは渋谷アジトでテレビを見て事件の発生を確認し、[[井上嘉浩]]と[[新実智光]]は喜んでいた。特に新実は死人が出たことを知ると大はしゃぎしたという<ref>『オウム法廷2 上』 p.324-327</ref>。使った傘など証拠品は[[多摩川]]で焼却した後、実行犯らは第6サティアンに帰還して麻原に報告した。麻原は、「ポアは成功した。シヴァ大神、すべての真理勝者方も喜んでいる。」「これはポアだからな、分かるな。」と、あくまで事件は[[ポア (オウム真理教)|ポア]]であったことを強調した。そして、「『グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方の祝福によって、ポアされてよかったね。』のマントラを1万回唱えなさい」と命じ<ref name="wa141">[http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/572/005572_hanrei.pdf 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所]</ref><ref>江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記2』 1997年 p.187</ref>、[[おはぎ]]と[[オレンジジュース]]を渡した<ref>降幡賢一『オウム法廷5』 p.307</ref>。
 
==緊急処置==