「オットー・ブルンフェルス」の版間の差分

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== 『本草写生図譜』 ==
『本草写生図譜』は、ブルンフェルスが収集したドイツの植物にドイツ名を添えて、[[ディオスコリデス]]など昔の文献から引用した説明文に、木版画の図版を配した。図版は、[[アルブレヒト・デューラー]]の弟子だった[[ハンス・ヴァイディッツ]]が描いたが、その絵は大胆かつ精緻で、従来の型通りの雑な絵とは唖然とするほど違っていた。博物学において、図版を精密にコピーできる木版画の可能性が、陽の目を見た一冊だった。<ref name="ハクスリー">ロバート・ハクスリー 著、植松靖夫 訳 『西洋博物学者列伝 アリストテレスからダーウィンまで』 悠書館、2009年</ref>『本草写生図譜』で成し遂げられた図版の革命は、[[レオンハルト・フックス]]らの植物書に引き継がれた。
 
出版業者[[クリスチャン・エゲノルフ]]は、『本草写生図譜』から多くの図版を流用し、本草書『ハーブ、木、低木、野菜や穀物』(''Herbarum, arborum, fruticum, frumentorum ac leguminem'' , 1533)を出版した。『本草写生図譜』の出版者ヨハン・ショットは、エンゲルノフを著作権の侵害で訴えた。
 
==著作の画像==
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ファイル:Brunfels - Contrafayt Kreuterbuch - xcv.jpg|''Contrafayt Kreüterbuch''
ファイル:Otto Brunfels01.jpg|<center> Herbarium vivae eiconesの図版</center>
ファイル:Brunfels Helleborus.jpg|<center>''Herbarum vivae eicones''の図版</center>
ファイル:Otto Brunfels, Narcissus, in "Herbarum vivae eicones" Wellcome L0006546.jpg</gallery>
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==著作リスト==
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* Epitome medices, summam totius medicinae complectens (1540)
* In Dioscoridis historiam plantarum certissima adaptatio (1543)
{{Botanist|Brunfels}}
 
== 注 ==
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{{Commonscat-inline|Otto Brunfels|オットー・ブルンフェルス}}
 
{{Botanist|Brunfels}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふるんふえるす おつとお}}
[[Category:16世紀の学者]]
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[[Category:1488年生]]
[[Category:1534年没]]
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