「バハル・アル・ガザール地方」の版間の差分

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[[File:SSudan-BAG.png|thumb|right|250px|バハル・アル・ガザール地方]]
[[File:Flag of Bahr el Ghazal.svg|thumb|バハル・アル・ガザールの旗]]
'''バハル・アル・ガザール地方'''(Bahr el Ghazal)は、[[南スーダン]]の地方。南スーダン北西部に位置し、[[北バハル・アル・ガザール州]]、[[西バハル・アル・ガザール州]]、[[レイク州]]、[[ワラブ州]]の4州を指す。地方名は、この地域を流れる{{仮リンク|バハル・アル・ガザール川|en|Bahr el Ghazal River}}から取られた。この地域は東部の[[スッド]]大湿原と西部の高原からなり、主に[[ディンカ人]]が自給農業や牧畜を営んでいる。
 
この地域は歴史的に、北隣の[[ダルフール]]地方の[[フール人]]に侵略を受け続けてきた。[[1864年]]には[[エジプト]]の[[ムハンマド・アリー朝]]の支配下に入り、エジプトが[[イギリス]]の保護国となるとこの地域は両国共同統治領[[英埃領スーダン]]の一部となった。共同統治下ではこの地域はイギリスの支配を受け、[[キリスト教]]の布教が進んだ。また、行政官から[[アラブ人]]を排除し、この地方出身者を中心とした統治機構を作り上げた。しかし[[1948年]]になるとこの地域はバハル・アル・ガザール州となり、アラブ人主体の北部[[スーダン]]との一体化が進められるようになった<ref>吉田昌夫 『世界現代史14 アフリカ現代史II──東アフリカ』 山川出版社、1990年2月第2版。</ref>