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[[File:Anzioanniegun.jpg|thumb|250px|right|[[第二次世界大戦]]期の[[ドイツ]]の[[クルップK5|28 cm Kanone 5 (E)]]]]
'''列車砲'''(れっしゃほう)は、陸上では運用困難な大[[口径]]・大重量の[[火砲]](重砲)を[[列車]]に搭載、[[鉄道]][[軌道|レール]]([[線路 (鉄道)|線路]])上を走行させることによって移動可能とした[[兵器]]。
 
[[貨物列車]]に[[装甲]]を施し、比較的小口径の軽砲・[[対空砲]]・[[機関銃]]を搭載した[[装甲列車]]とは一般的に区別される。
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== 概要 ==
[[File:French 520 mm howitzer on cradle sliding recoil railway mount.jpg|thumb|right|250px|口径520mmの榴弾砲を搭載した[[第一次世界大戦]]期の[[フランス]]の[[:en:Obusier de 520 modele 1916|M1916 520mm列車榴弾砲]]]]
砲の口径と口径長はまちまちであるが、基本的に超長距離射撃を前提とし'''[[カノン砲]]'''('''カノン'''・'''加農''')の中でも特に大口径(20cm以上)・長[[砲身]]・大重量・高[[砲口初速|初速]]・大威力なものが使用されることが多く、これらは最大射程40,000m(40km)以上を誇った<ref>[[野戦砲]]として陸上で用いられる一般的な15cmクラスのカノン砲は、第二次大戦当時最新型の物で最大射程25,000m前後程度。</ref>。また、大口径・大重量'''[[榴弾砲]]'''や'''[[臼砲]]'''も使用された。列車砲が使用する[[砲弾]]([[破甲榴弾]]・[[榴弾]])の破壊力はなものあり、左右の射界の確保はカーブの付いたレール上を移動させるか、[[転車台]]を用いて対応した。なお、[[軌間]]は路線・国ごとにまちまちであったため、それら地域に持ち込むには[[鉄道車両の台車|台車]]の交換など[[改軌]]の必要があった。
 
[[File:18inchRailwayHowitzerBocheBusterWWII.jpg|thumb|left|200px|隧道を利用する第二次大戦期の[[イギリス]]の[[BL 18インチ列車榴弾砲]]]]
列車砲は編成を含めてその大きさは格好の目標であり、移動においては線路に制限されるという関係上、[[制空権]]を確保していない状況においてその運用は困難であった。特に特別な[[複線]]が前提となっていた一部の巨大列車砲は運用そのものに制約がかっ大な制限を受けていた。
 
[[戦間期]]に出現した中・大型の[[爆撃機]]は、すでに列車砲の砲弾以上の威力のある[[爆弾]]を投下することが可能となっており、また列車砲最大射程と爆撃機の[[航続距離|航続力]]を考慮すれば列車砲の活躍の場は少なかった。ただし、[[航空機]]には天候・命中率・防空など、その性能を常に発揮できるわけではなく、同様に列車砲も適切な状況で運用した場合には、圧倒的な威力を発揮した。また、地形が許せば隧道([[トンネル]])を利用しての射撃(撃つ時だけ出て撃ったらすぐに隧道内に戻る)で敵の攻撃を避けるといった方法もとっていた。
第二次大戦直後に[[ドイツ国防軍]]の列車砲を調査した[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の評価は「技術的には驚異的だが、戦術的には失敗だ」というもので「列車砲に注がれた資金、資材、技術者、兵員を爆撃機開発に回していれば大きな脅威になったが、列車砲に回されたおかげで連合軍には有利に働いた」と言われた。
 
第二次大戦後の現代においては、兵器や[[戦闘教義|戦闘ドクトリン]]の進化により列車砲自体は廃れたが、[[ソビエト連邦軍]] / [[ロシア連邦軍]]の[[大陸間弾道弾]][[RT-23 (ミサイル)|SS24]]には列車移動が可能なタイプがあり、見方によってはこれは列車砲の子孫とも言える。
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以降、列車砲は世界各国の[[陸軍]]において研究・開発・整備が行われ、[[列強]]各国はこぞってこれを所有した。
 
第一次大戦においてはドイツが[[要塞]]や[[塹壕]]攻撃などに使用したものが有名である。ドイツ軍は中でも'''[[パリ砲]]'''と呼ばれる最大射程120,000m(120km)の列車砲を開発、[[パリ]]に超遠距離砲撃を行った。これに脅威を感じた[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]は[[ヴェルサイユ条約]]でドイツに対し列車砲を含む[[重火器]]保有を禁止したが、未知の技術であった[[ミサイル]]保有は禁じられなかった。このためドイツはミサイルの研究に取り組み、世界に先駆けて[[V2ロケット]]などの[[弾道ミサイル]]の実用化に成功した。
 
<gallery>
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=== 戦間期 ===
[[File:Schneider 240 mm railway gun in France.jpg|thumb|250px|right|日本の九〇式二十四糎列車加農]]
引き続き戦間期には世界各国において列車砲の開発はピークとなった。[[日本]]においても[[大日本帝国陸軍|帝国陸軍]]が[[1920年代]]に導入を模索し採用した[[九〇式二十四糎列車加農]]がある。砲身は[[フランス]]の[[:en:Schneider Electric|シュナイダー]]から購入・輸入し、車台電源車は国産であった。本砲は各種テストが行われ[[千葉県]][[富津岬]]の[[富津射場]]に保管されていたが、[[太平洋戦争]]開戦時に改軌の上、[[日本軍]]最大の火砲である[[試製四十一糎榴弾砲]]とともに[[満州国]]に送られソ満国境の[[関東軍]][[虎頭要塞]]に配備された。しかし、[[ソ連対日参戦|ソ連軍侵攻]]時には解体されて後方に移送中であり、一説によるとソ連軍に追いつかれて[[鹵獲]]されたという。また、実現はしなかったが純国産の列車砲を開発する計画も存在していた。
 
=== 第二次世界大戦 ===
第二次大戦においても列車砲は使用され、中でもドイツ国防軍・イギリス軍・[[赤軍|ソ連労農赤軍]]が使用していた。ドイツは'''[[クルップK5]]'''を主力に、また実用化された火砲としては世界最大である'''[[80cm列車砲]]'''(「'''グスタフ'''」・「'''ドーラ'''」)を投入している。なお、フランス陸軍の列車砲は[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|フランス降伏]]において多くがドイツに鹵獲され、レニングラード攻撃やノルマンディー戦で使われた
 
イギリス陸軍の列車砲は沿岸防衛用に[[ドーバー海峡]]沿岸に配備され、時に沖合いを行くドイツ艦船を砲撃し、時に対岸を砲撃し、時に対岸に配備されたドイツ軍列車砲の砲撃を受けたが、大きな活躍は見せていない。