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[[ファイル:SaracensBeheaded.jpg|right|230px]]
'''第3回十字軍'''([[1189年]] - [[1192年]])は、[[アイユーブ朝]]の始祖であり「[[イスラム]]の擁護者」と目された[[サラーフッディーン]](サラディン)により征服された聖地[[エルサレム]]を、[[ヨーロッパ]]の[[キリスト教]]諸国が奪還するために開始された[[十字軍]]。
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===リチャード1世とフィリップ2世によるアッコン征服===
[[File:Crusader States 1190.svg|thumb|275px|1190年の十字軍王国]]
[[1191年]]、イングランド王[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]](獅子心王)とフィリップ2世は共に海路ではあるが、関係が悪化していたため、別々にパレスチナに到着した。リチャードの船団はその途上で嵐にあい、何隻かが[[キプロス|キプロス島]]まで流されたが、その時東ローマ帝国から離反していた島の統治者が漂着した財宝を略奪し、乗員らを身代金目当てで牢に入れたため、リチャードは戦って5月末までに島全体を占領した。そして一旦は[[テンプル騎士団]]に島の統治を委ねるが、翌年、旧知のエルサレム王国の前国王[[ギー・ド・リュジニャン]]にこの島を譲渡した。一方、フィリップはティールに到着して、エルサレム王国の王位継承を主張しギーと対立していたモンフェラート侯[[コンラート1世 (モンフェラート侯)|コンラート1世]]と同盟を結んだ。
 
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==第3回十字軍の影響==
[[File:The Third Crusade (1189-1192).png|thumb|left|250px|当時のヨーロッパ (1189年-1192年)]]
第3回十字軍を巡るさまざまな出来事についての記述は、[[ノルマン人]]の[[詩人]]アンブローゼや[[ウェールズ]]の歴史家ジラルドゥス・カンブレンシスの著作に見ることができる。
*[[エルサレム]]こそ奪回できなかったが、[[ハッティンの戦い]]以降の[[サラーフッディーン]]の破竹の進撃を食い止め、沿岸部の都市のいくつかを取り戻した。特に[[アッコン]]を奪回し[[キプロス]]を占領することにより、[[レバント]]貿易を維持し、以降、100年弱に渡りキリスト教勢力は海岸線を保つことができた。