「ディアナ号」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 誤動作対応 / {{main}}
13行目:
[[画像:フレガート・ディアナ号の錨.JPG|サムネイル|200px|富士市でモニュメントとして展示されている錨]]
 
[[1853年]]建造のロシア軍艦ディアナ号は、[[フリゲート]]に分類される帆船である。[[1854年]](安政元年)、[[日露和親条約]]締結交渉のため[[エフィム・プチャーチン]]の乗艦として[[函館|箱館]]・[[大坂]]を経て[[下田]]を訪れた際、同年[[11月4日 (旧暦)|11月4日]]([[12月23日]])9月)午前9時過頃に発生した[[安政東海地震]]による[[津波]]で大破し、[[田子浦村|宮島村]](現、[[富士市]])沖で沈没。
 
プチャーチンは、乗員の帰国のため[[アレクサンドル・モジャイスキー]]らの指導で日本の造船工により帆船「[[君沢形|ヘダ号]]」を建造。日本の造船工に洋式造船技術が伝わるきっかけとなった。
 
2つあったの錨のうち、1つは昭和29年に引き上げられ、[[沼津市立造船郷土資料博物館]]に関連資料とともに展示。もう1つは昭和51年に引き上げられ、富士市富士市五貫島の三四軒屋緑道公園でプチャーチン像とともに展示されている<ref>{{cite web
|url = http://www.city.fuji.shizuoka.jp/kyouiku/c0403/fmervo0000011luk.html
|title = ロシア軍艦ディアナ号とその錨