「ヨハネ (使徒)」の版間の差分

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正教会での記憶日は[[10月9日]]([[修正ユリウス暦]]使用教会では[[9月26日]])。[[カトリック教会]]での記念日は[[12月27日]]。
 
== 概要 ==
ヨハネは兄の[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]]とともに[[ガリラヤ湖]]で漁師をしていたが、[[ナザレのイエス]]と出会い、その最初の弟子の一人となった。[[ペトロ]]、兄弟ヤコブとともに特に地位の高い弟子とされ、[[主イエスの変容|イエスの変容]]の場面や、[[ゲッセマネ]]におけるイエス最後の祈りの場面では、彼ら三人だけが伴われている。『[[ルカによる福音書]]』ではイエスから[[最後の晩餐]]の準備をペトロとヨハネの2人が仰せつかっている<ref>ルカ22:8</ref>。
 
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古い伝承では[[使徒]]たちの中で唯一殉教しなかったとされる<ref>何度か処刑されかけたが、いずれも生還を果たしている。</ref>。[[イエスの母マリア]]を連れ[[エフェソス]]に移り住んだヨハネは、のち[[パトモス島]]に幽閉され、そこで黙示録を記した<ref>ヨハネ黙1:9</ref>。釈放されてエフェソスに戻り、そこで没した。福音書を書いたのはパトモス島から釈放された後、老年に達してからで、弟子プロクロスが口述したと伝える。また[[アトス山]]修道院を開いたのは、ヨハネに伴われた[[イエスの母マリア]]であるとする伝説もある。
 
== 著書について ==
教会では伝統的には『[[ヨハネによる福音書]]』、『[[ヨハネの手紙一]]』、『[[ヨハネの手紙二]]』、『[[ヨハネの手紙三]]』、『[[ヨハネの黙示録]]』が使徒ヨハネによって書かれたとされてきたが、[[高等批評]]の影響を受ける近代[[聖書学]]ではそのような見解を支持しない学者が多い。ただし、保守的な立場では今も伝統的な理解が保持される(詳細は[[ヨハネ文書]]を参照)。
 
ヨハネおよび『ヨハネの福音書』はしばしば[[鷲]]の[[アトリビュート|シンボル]]であらわされる。これは『[[エゼキエル書]]』1:10に登場する四つの生き物に由来し、それぞれ四人の[[福音記者]]と[[福音書]]にあてはめられている。
 
== 脚注 ==
{{reflist|2}}
 
== 関連項目 ==
{{commonscat|Saint John the Evangelist}}
*[[ヨハネ]] - 曖昧さ回避ページ
*[[津島善子]] - 「堕天使ヨハネ」を自称する架空の人物
*[[石巻ハリストス正教会]] - 聖堂名が「聖使徒イオアン聖堂」であり、使徒ヨハネを記憶している。