「ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル」の版間の差分
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ヘーゲルは、古典に通じた慧眼で現実的かつ理想的な哲学を展開し、同時代のみならず後世にも大きな影響を与えた。主な著作は『'''[[精神現象学]]'''』([[1807年]])、他に『論理学(大論理学)』、『[[エンチクロペディー]]』、『[[法の哲学|法哲学・要綱]]』などがある。なお、『[[歴史哲学講義|歴史哲学]]』『美学』『宗教哲学』などはヘーゲル没後、弟子たち(つまり[[ヘーゲル学派]])により彼の講義ノートと聴講生のノートとを中心に編纂されたものである。
ヘーゲル死後、一時期ドイツの大学の哲学教授のポストはヘーゲルの弟子(ヘーゲル学派)で占められた。1830年代から1840年代には[[ヘーゲル学派]]の中でも[[ヘーゲル左派]]が興隆したが、ヘーゲル左派の思想はマルクスらによって批判的に受け継がれ、次第に勢いが衰えていった。特に大陸哲学の伝統に強い影響力を持ち、毀誉褒貶、肯定的評価及び否定的評価を含め、様々な哲学者・思想家・文筆家の論述を通じて、彼の影響は広がっていった。[[ヘーゲル学派]]([[老ヘーゲル派]]・[[ヘーゲル中央派]]・[[青年ヘーゲル派]])及びその[[ヘーゲル学派 (第二世代)|第二世代]]、[[ヘーゲル主義者の一覧]]や、[[新ヘーゲル主義]]などの頁も参照されたい。ヘーゲル哲学の影響を受けて批判的に継承・発展させた人物としては、[[セーレン・キェルケゴール]]、[[カール・マルクス]]などがいる。[[カール・ポパー|ポパー]]や[[フリードリヒ・ハイエク|ハイエク]]といった論客から[[マルクス主義]]とその実践において根深い[[全体主義]]的傾向はヘーゲルに由来しているという主張{{#tag:ref|ポパーは1936年に『歴史主義の貧困』を出版し、ヘーゲルやマルクスの学問上の方法論を批判した。また、1945年に『[[開かれた社会とその敵]]』を刊行し、さらにヘーゲル批判をおこなう。ヘーゲルに対する批判は厳しくヘーゲルの論敵であった[[ショーペンハウエル]]の悪口を用いて[[フィヒテ]]を「駄法螺吹き」、ヘーゲルを「プロイセン反動主義の擁護者」であり「いかさま師」として非難した<ref>ポパー『開かれた社会とその敵』2巻
'''神秘的観念論者としての位置づけ'''
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