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『[[季漢輔臣賛]]』では「重厚な性質」とされ、[[陳到]]と共に「選り抜きの兵士を率い、勇猛でたびたび勲功をたてた」とされている。
 
 
== 趙雲別伝 ==
本伝中の記述がやや簡素なのに比べ、以下の『趙雲別伝』の記述は活躍を賛美する記述が非常に多く、[[清]]の[[史学者]][[何シャク|何焯]]らは「趙雲別伝とは趙家の家伝を改編したものではないか」と疑問を呈し、度々その内容を否定している。また、『三国志』と『趙雲別伝』では、趙雲が劉備に仕えた時期が大きく異なっている。
<br>ただし脚注を付けた[[裴松之]]は信憑性のない書物へ度々批判を行っているが別伝の信憑性には全く触れていない。
<br>[[資治通鑑]]を編纂した[[司馬光]]も通鑑に趙雲別伝の記述を採用している。
<br>また、『三国志』と『趙雲別伝』では、趙雲が劉備に仕えた時期が大きく異なっている。
 
趙雲は身長八尺(約184cm)で、姿や顔つきが際立って立派だったという。故郷の常山郡から推挙され、官民の義勇兵を率いて公孫瓚の配下となった。