「モギリョフ県」の版間の差分

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1802年、ベロルシヤ県は廃止され、再びモギリョフ県が設置された(なおベロルシヤ県の残り半分は[[ヴィテプスク県]]となった)。この再設の際には、モギリョフ県内は12のウエズド(郡)に区分された。1917年、モギリョフ県の上位区分としてザド州[[:ru:Западная область (1917—1918)|(ru)]]が置かれた。
 
[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]が成立すると、1919年にモギリョフ県は廃止された。当時、県を構成していた11の郡のうち、9つはゴメリ県[[:ru:Гомельская губерния|(ru)]]へ、ムスチスラヴリ郡[[:ru:Мстиславский уезд|(ru)]]はスモレンスク県[[:ru:Смоленская губерния|(ru)]]へ、センノ郡[[:ru:Сенненский уезд|(ru)]]はヴィテプスク県に編入された。なお、ムスチスラヴリ郡は1924年に廃止されるが、その領域は[[白ロシア・ソビエト社会主義共和国]]内へと組み込まれたため、旧モギリョフ県はほぼ全域が白ロシア(現ベラルーシ)の管轄となった。