「覚醒剤」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集
→‎日本での覚醒剤の歴史: ん!?戦後まもなくの頃は小文字を使わなかったのでしょうか?
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集
110行目:
しかし、即効性の高いアンプルは常に闇に流れ品不足が常態化しており、[[1949年]]の新聞で、薬局では錠剤しか入手できなかったと報道されている。この結果、日本ではメタンフェタミンが社会に蔓延し、多数の依存症患者を生み出す事となった。
 
ヒロポンを販売していた大日本製薬会社は国会で「ただ大量に使ても生命の危険はない薬だというふうに考えておつたのですが、昭和二十二年頃からぼつぼつ中毒が現われたというお話でございます。我々の聞き知つたのは、もつとあとでございまして(中略)つまりたばこを吸つてたばこがやめられなくなると量が殖えるという程度のものとしか思つておらなかつたのです。ところがいろいろ御研究になりますと、麻薬に類したような禁断症状さえ出て来るというようなお話を伺つて、実はびつくりしたわけであります。」と戦後暫く経ってからようやく毒性を認識したと証言するなど<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/010/0790/01002150790006a.html 第10回国会 厚生委員会 第6号 昭和二十六年二月十五日]</ref>対策が後手に回ったこともあって、やがて蔓延が社会問題化することとなり、ようやく様々な措置が取られることとなった。
 
1948年7月には薬事法における劇薬の指定。翌年3月には、厚生省から各都道府県知事に、国民保険上憂慮すべき事態の発生などを通達し、その後製造自粛などを通達し、1950年には医師の指示が必要な[[処方箋医薬品|処方箋薬]]となった。