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* [[日立製作所硬式野球部|日立製作所]]
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'''岩﨑 恭平'''(いわさき きょうへい、[[1986年]][[4月4日]] - )は、[[神奈川県]][[厚木市]]出身の[[プロ野球選手]]([[内野手]])。右投左打で、愛称は[[プリンス]](東海大時代学硬式野球部|東海大学]]に同級生から付けられたあだ名)という「[[プリンス]]」
 
大学卒業後の{{by|2009年}}から{{by|2017年}}までは、[[NPB]]の[[中日ドラゴンズ]] ({{by|2014年}}のシーズン途中まで)と[[オリックス・バファローズ]] に所属していた。[[2018年]]シーズンからは、[[社会人野球]]の[[日立製作所硬式野球部]]でプレーを続ける。
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[file:CD-Kyohei-Iwasaki20130306.jpg|thumb|中日時代(阪神甲子園球場にて)|220px]]
[[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大学付属相模高校]]から東海大学へ進学。大学時代には、[[首都大学野球連盟|首都大学野球]]のリーグ通算69試合出場すると234打率.333(234打数78安打、打率.333、4本塁打、31打点という成績を残したまた、[[三塁手]]としてリーグのベストナイン2回選出大学34年時には、春季リーグ戦優勝を経て、[[全日本大学野球選手権]]では共に準優勝。[[2008年]]、10月30日に行われた[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|プロ野球ドラフト会議]]で[[中日ドラゴンズ]]から3位で指名され、11月25日に仮契約を経験した。
 
[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2008年のNPBドラフト会議]]で、[[中日ドラゴンズ]]から3巡目で指名。契約金6,500万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は'''37'''。
 
=== 中日時代 ===
{{by|2009年}}、6月10日、9日に入団後初めての出場選手登録抹消されを果[[野本圭]]に代わり、一軍登録されたが、登録後は一軍公式戦2試合の出場に終わるとどまった
 
{{by|2010年}}、[[ウエスタン・リーグ]]公式戦で最終[[規定打席]]へ到達。31盗塁で盗塁王のタイトルを獲得したほか、リーグ10位の打率.269を記録した。一軍公式戦への出場は4試合に終わったが、[[7月22日]]に[[長崎ビッグNスタジアム]]で開かれた[[フレッシュオールスターゲーム|プロ野球フレッシュ球宴]]では、ウエスタン・リーグ選抜の「8番・[[二塁手]]」としてフル出場。4打数1安打ながら、1本塁打2打点1盗塁という成績でMVPに選ばれた。なおこの年は[[ウエスタン・リーグ]]で盗塁王となった。
 
{{by|2011年}}から2年間は、一軍公式戦への出場機会がなく、ウエスタン・リーグ公式戦でも最終規定打席に到達しなかった。
{{by|2013年}}、9月23日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦で、3回表に[[三浦大輔]]から左翼席にプロ初本塁打を放ち、初打点を記録した。また、この試合で初めて猛打賞も記録した。[[荒木雅博]]や[[井端弘和]]の不調により過去4年間に比べると大幅に一軍出場の機会が増え、54試合に出場して打率.286、[[大島洋平]]や荒木に次ぐチーム3位の8盗塁を記録した。
 
{{by|2013年}}、3年振りに一軍へ復帰すると、レギュラーで二遊間を組んでいた[[荒木雅博]]や[[井端弘和]]の不調を背景に、一軍公式戦54試合に出場。通算打率は.286で、[[大島洋平]]や荒木に次ぐチーム3位の8盗塁を記録した。[[9月23日]]の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦([[横浜スタジアム]])では、3回表の打席で[[三浦大輔]]から一軍公式戦初本塁打・初打点を記録したほか、猛打賞を初めて達成した。
 
{{by|2014年}}、7月下旬までに一軍公式戦18試合に出場したが、打率.107と振るわず、盗塁も記録できなかった。
=== オリックス時代 ===
{{by|2014年}}、[[7月29日]]に[[三ツ俣大樹]]との交換トレードで[[オリックスバファローズ]]移籍が発表され<ref>[http://dragons.jp/news/2014/14072901.html トレードのお知らせ]中日球団公式サイト2014年7月29日配信</ref>。翌[[7月30日|30日]]付で、[[NPB]]から支配下登録選手として公示された<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/30/kiji/K20140730008658010.html 【307月30日の公示】トレードの三ツ俣、岩崎が中日、オリ支配下に]スポニチアネックス(2014年7月30日)</ref>された。背番号は三ツ俣がけていた'''30'''<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/30/kiji/K20140730008658040.html オリックス移籍の岩崎が会見「すきのない野球を教わってきた」]</ref>。移籍後は、一軍公式戦15試合に出場したが、打率.125(8打数1安打)、1盗塁という成績でシーズンを終えた
 
{{by|2015年}}、[[7月28日]]の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦で2([[ほっともっとフィールド神戸]])2回裏の打席で[[上沢直之]]から放った逆転2ランを放ち、こ2点本塁打が、(前身球団を含む)オリックス球団での公式戦通算8000号本塁打になった<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1514279.html オリックス岩崎球団通算8000号、史上5チーム目]</ref>。一軍公式戦では、通算35試合の出場で自己最多の4本塁打、8打点を記録した
 
{{by|2016年}}、度重なる怪我の影響故障が相次いだことなどで前年を下回るから、一軍公式戦には9試合の出場にとどまった。
{{by|2015年}}、7月28日の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦で2回裏に[[上沢直之]]から逆転2ランを放ち、この本塁打が球団通算8000号となった<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1514279.html オリックス岩崎球団通算8000号、史上5チーム目]</ref>。35試合の出場で自己新の4本塁打、8打点を記録。
 
{{by|2017年}}、[[5月14日]]シーズン昇格しの出場選手登録を果たすと、当日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦([[宮城球場|Koboパーク宮城]])に「2番・[[右翼手]]」としてスタメン出場したで起用。しかし出場、一軍公式戦全体で7試合にとどまり、の出場で打率.091と1割届かず、とどまった。[[10月28日]]に球団から[[戦力外通告を受けた]]<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201710280000299.html|date=2017-10-28|title=オリックスが川端、岩崎、佐野の3選手に戦力外通告|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-10-28}}</ref>。
{{by|2016年}}、度重なる怪我の影響などで前年を下回る9試合の出場にとどまった。
 
{{by|2017年}}、5月14日に初昇格し2番右翼手でスタメン出場した。しかし出場は7試合にとどまり、打率も.091と1割に届かず、[[10月28日]]に戦力外通告を受けた<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201710280000299.html|date=2017-10-28|title=オリックスが川端、岩崎、佐野の3選手に戦力外通告|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-10-28}}</ref>。
=== オリックス退団後 ===
他球団での現役続行を希望して模索中に、社会人野球の[[日立製作所硬式野球部]]から団する部の誘いを受けたことが発表されたを機に、[[2018年]]シーズンから同部でプレーを続ける<ref>{{Cite web|url=http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171213-OHT1T50233.html|date=2017-12-14|title=オリックス戦力外の岩崎、日立製作所で現役続行|publisher=スポーツ報知|accessdate=2017-12-14}}</ref>。
 
== 選手としての特徴 ==
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=== 登場曲 ===
* 「イカロス」[[GReeeeN]] (2013年 - 2017年
 
== 脚注 ==