「ジョー・アドニス」の版間の差分

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1930年代後半、[[トーマス・デューイ]]のギャング狩りのターゲットになった。1937年のニューヨーク市長選で現職市長の[[フィオレロ・ラガーディア]]を見捨て反対勢力を支援したことでラガーディアの恨みを買った。両者の攻勢が激しくなったためニュージャージーに拠点を移した<ref name="g"/>。自動車のフォード社と独占契約を結び、ニュージャージーの同社エッジウォーター工場の新車の配送を一手に引き受けた<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=E_krDAAAQBAJ&pg=PT253&lpg=PT253 American Mafia: A History of Its Rise to Power] Thomas Reppetto, P. 253</ref>{{refnest|group=注釈|キーフォーヴァー委員会のレポートでは、フォード社との利権関係は1937年頃に遡るとされた<ref>Bill Friedman, P. 260</ref>。}}{{refnest|group=注釈|フォード社役員のハリー・ベネットはピエトロ・リカヴォリなど地元デトロイトマフィアとも配送利権でつながっていたが、リカヴォリと賃上げで揉めてトラブルになった時、アドニスに仲裁を求めたという<ref>[http://gangsterreport.com/henry-fords-relationship-with-the-mafia-godfather-of-auto-industry-used-mob-muscle/ Henry Ford’s Relationship With The Mafia: Godfather Of Auto Industry Used Mob Muscle]</ref>。}}。アメリカ北東部一帯のカーディーラーのネットワークに影響力を強め、客が車を購入する際に偽の「保険」をかけて金を搾り取った。1940年に誘拐や強請で告発された時、数多くの合法ビジネスと非合法ビジネスを持ち、年収は50万ドルを超えると報じられた<ref>[https://bklyn.newspapers.com/image/52896827/ FBI Seeks Adonis in Far-Flung Hunt] Brooklyn Daily Eagle, 1940.5.6, P. 1</ref>。
 
カジノ事業は、1933年にルチアーノ、[[マイヤー・ランスキー]]、コステロらと共に[[サラトガ・スプリング]]で本格的なカジノ経営に参入した(パイピングロックなど)のを皮切りに、[[フロリダ州]]、[[ルイジアナ州]]、[[カリフォルニア州]]などにカジノの拠点を広げた<ref name="h">[http://www.onewal.com/kef/kef3b.html Kefauver Committee Interim Report #3, FRANK COSTELLO, VIII. Costello's influence in politics] Tha American Mafia</ref>。コステロやランスキーと共にマイアミのカジノ、コロニアル・インの共同オーナーに名を連ねた<ref name="a"/>。
 
1944年、フォート・リーの高級住宅街に豪邸を建て、ビジネスの拠点も完全にニュージャージーに移した<ref name="b"/><ref name="i">[http://gangstersinc.ning.com/m/blogpost?id=6329524%3ABlogPost%3A68332 The Life and Death of Mafia Capo Anthony Carfano] Thom L. Jones, Gangsters Inc</ref>。[[ウィリー・モレッティ]]らと賭博利権を分かち合い、モレッティを通じて地元の政治家、警察幹部や検察官と人脈を築いた。ニュージャージーの風紀取締りはニューヨークに比べて緩やかで、地下賭博で恩恵を受けた<ref name="b"/>。裕福で浪費家のスポーツマンらを対象に、ハドソン川を越えてニュージャージーのカジノまでリムジンで送迎するシャトルサービスを行っていた<ref name="e">[https://bklyn.newspapers.com/image/52825812/ Adonis Gets 2-5 Years] Brooklyn Daily Eagle, 1951.5.28</ref>。