「交響曲第7番 (シューベルト)」の版間の差分

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'''交響曲第7番'''ロ短調[[ドイッチュ番号|D]]759『未完成』('''Sinfonie Nr. 7''' in h moll D. 759 "Die Unvollendete" )は、オーストリアの作曲家[[フランツ・シューベルト]]が[[1822年]]に作曲した未完の交響曲である。
 
== 概要 ==
シューベルトの代表作のひとつであり、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の『[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|運命]]』・[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]の『[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|新世界]]』などと並んで大衆的な人気がある。かつてのレコード業界では『運命』と『未完成』のカップリングは、いわゆるドル箱として重視されていた<ref>[[レコード|LPレコード]]は、片面の収録時間が約30分だった。この2曲の交響曲は、通常のテンポでの演奏時間がほぼこれに合致し、かつ大作曲家のニックネーム付きの有名な曲ということもあり多くの指揮者とオーケストラによる録音が多数発売された。CD時代になり、廉価盤のBOXセットによるベートーヴェンの交響曲全集盤が多数発売されるようになると、『未完成交響曲』の方は単独で発売されることがあまりないため、シューベルト交響曲全集の一環として録音されたものでない限り、LP当時にカップリングされていた『未完成』を容易に入手できないことがある。</ref>。残された楽章のみの初演はシューベルト没後の[[1865年]][[12月]]、[[ウィーン]]。
 
== 経緯 ==
''ここでは新シューベルト全集編纂開始当初に提唱された学説を取り上げている。''
 
残された楽章のみの初演はシューベルト没後の[[1865年]][[12月]]、[[ウィーン]]。シューベルトは[[グラーツ]]楽友協会から「名誉ディプロマ」を授与された。わずか25歳でのこの授与に対し、シューベルトは返礼として交響曲を作曲することにした。しかし、シューベルトが送付したのは第1楽章と第2楽章だけで、残りの楽章は送付しなかった。そのままシューベルトはなぜか別の交響曲群の作曲に取り掛かってしまい、ロ短調交響曲を完成させる前にシューベルトは逝去。シューベルトの名声が確実なものとなった没後数十年を経て、残された2楽章分のみを出版することにした。
 
交響曲は通常4つの楽章から構成され、その最も典型的な形が『[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|運命]]』や『[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|新世界]]』などに見られる[[アレグロ]]・[[ソナタ形式|ソナタ]] - [[緩徐楽章]] - [[スケルツォ]] - [[フィナーレ]] という形式である。シューベルトも当初はそのようなものを構想して、この交響曲ロ短調の作曲を進めていったのであろうと考えられる。しかし、シューベルトは第2楽章まで完成させ、スケルツォ(第3楽章)をスケッチまでほぼ仕上げながら、そこで作曲を中止してしまった。このような経緯により交響曲ロ短調D759は、第2楽章までしかない未完成交響曲となってしまったのであった。
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第4楽章全体がさほど長くないのは、ロザムンデ用の編集であったのか、もともと短かったのかは判断が分かれている。ニューボウルド版は、途中でフィナーレの要求する速いアレグロに変えてしまっている。ただし、シューベルトの意図通り全曲がAllegro ''molto'' moderatoで演奏されるのなら第4楽章は中庸の速度になるため、フィナーレとしてのバランスは損なわれない。
 
== 概要備考 ==
シューベルトの代表作のひとつであり、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の『[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|運命]]』・[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]の『[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|新世界]]』などと並んで現代においても大衆的な人気がある。かつてのレコード業界では『運命』と『未完成』のカップリングは、いわゆるドル箱として重視されていた<ref>[[レコード|LPレコード]]は、片面の収録時間が約30分だった。この2曲の交響曲は、通常のテンポでの演奏時間がほぼこれに合致し、かつ大作曲家のニックネーム付きの有名な曲ということもあり多くの指揮者とオーケストラによる録音が多数発売された。CD時代になり、廉価盤のBOXセットによるベートーヴェンの交響曲全集盤が多数発売されるようになると、『未完成交響曲』の方は単独で発売されることがあまりないため、シューベルト交響曲全集の一環として録音されたものでない限り、LP当時にカップリングされていた『未完成』を容易に入手できないことがある。</ref>。残された楽章のみの初演はシューベルト没後の[[1865年]][[12月]]、[[ウィーン]]。
 
== 脚注 ==