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==人物==
1995年に福岡で開催された[[ユニバーシアード柔道競技|ユニバーシアード]]決勝ではポイントの取り合いの末に[[窪田和則]]に[[裏投]]で敗れたが、その際に礼をせず、相手との握手も拒否してそそくさと畳から立ち去った<ref>「1995年ユニバーシード福岡大会柔道競技」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1995年10月号、6</ref>。1996年の[[アトランタオリンピック]]では[[ユン・ドンシク|尹東植]]を押しのけて代表となるが、準決勝で[[古賀稔彦]]に警告と[[巴投]]で有効を取られて敗れた<ref name="Biography" />。この試合では寝技の攻防の際に古賀の手に噛み付いたという<ref>「独占ロングインタビュー 古賀稔彦」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1996年11月号、6</ref>。この時もまともに礼をせず、さらに相手と握手もせずに畳から立ち去る態度を取った<ref>「第26回オリンピックアトランタ大会柔道競技」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1996年9月号、9</ref>。1997年の[[1997年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では決勝でフランスの[[ジャメル・ブーラ]]を技有りで破って優勝した<ref name="alljudo" />。1999年の[[1999年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では3位に終わった<ref name="alljudo" />。2000年の[[シドニーオリンピック]]では決勝で[[瀧本誠]]に[[袖釣込腰]]で有効を取られて敗れたが、この際にはきちんと礼をして相手との握手に応じた。また、表彰式では優勝した瀧本に対して拍手も送った<ref>「独占ロングインタビュー 古賀稔彦」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2000年11月号、27</ref>。2001年の[[2001年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では、決勝でエストニアの[[アレクセイ・ブドリン]]を[[掬投]]で破って2度目の優勝を果たした<ref name="alljudo" />。
 
引退後は[[心理学|スポーツ心理学]]で博士号を取得して、現在は[[龍仁大学校]]の教授を務めている<ref name="wowkorea">[http://www.wowkorea.jp/news/korea/2016/0325/10163235.html ”不正疑惑”の韓国男子柔道チョ・インチョル監督、「嫌疑なし」で復帰へ]</ref>。