「三十年戦争」の版間の差分

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ブラウンシュヴァイク公クリスティアンは[[1626年]][[6月16日]]に病死し、[[6月27日]]の[[ルッターの戦い]]でティリー皇帝軍はデンマーク軍に勝利し、[[ホルシュタイン]]まで追撃し、それに呼応してヴァレンシュタインも[[ユトランド半島]]まで追った<ref name=GM4/><ref name=GGM30G/><ref name=Sigfrid/>。デンマークが帝国内に領有していた[[ポメラニア公国|ポンメルン]]、デンマーク側に加担していた[[メクレンブルク=シュヴェリーン|メクレンブルク]]領も皇帝軍が占領した。
 
[[1628年]]夏、ヴァレンシュタインが帝国海軍基地確保のために[[ポメラニア公国|ポンメルン]]の[[シュトラールズント]]港を[[シュトラールズント攻囲戦 (1628年)|包囲するに至り]]、スウェーデンは介入を決定した<ref name=Sigfrid/>。
 
しかし、ヴァレンシュタイン軍を追撃しようとクリスチャン4世が再上陸して返り討ちに遭い({{仮リンク|ヴォルガストの戦い|en|Battle of Wolgast}})、[[1629年]][[5月22日]]に「[[リューベック条約|リューベックの和約]]」が皇帝との間で成立し、領土は没収されずに維持されたものの、帝国への介入を禁じられた<ref name=GGM30G/>。これによってデンマークは北欧の覇者としての地位がゆらぐこととなった<ref name=north/>。