「スペイン1978年憲法」の版間の差分

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1975年に独裁者[[フランシスコ・フランコ]]が病没すると、それまで押さえ込まれていた民主化運動が一挙に進展を見せた。1977年に[[民主主義]]勢力は[[国会 (スペイン)|議会]]を再開して総選挙を敢行、[[スペイン内戦]]から停止されたままだった[[憲法]]の再制定に向けて動き出した。
 
選挙で議会の多数を占めた[[中道政治|中道]]勢力の寄り合い所帯[[民主中道連合]](UDC)が主導的に憲法制定を牽引した。他に[[左翼|左派]]に属する[[スペイン社会労働党|社会労働党]](PSOE)、地方の民族運動の先鋒たる[[カタルーニャ民族主義]]政党[[集中と統一]](CiU)、フランコ政権下の閣僚を中心に結成された[[右翼|右派]]の[[国民同盟 (スペイン)|国民同盟]](AP)も議論に参加した。憲法内容については国民同盟の反対などもあったものの、独裁政権時代を忌避する[[国民]]の意向を受けて「[[地方分権]]」「多民族の共生」「[[連邦主義]]」を柱にしたものとなった。
 
フランコの遺言を無視して民主主義派の後ろ盾となっていた国王[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世]]は12月27日に憲法に署名を行い、12月29日に憲法が施行された。