「フレデリック・クレーバー」の版間の差分

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英語文献学の[[アシスタント・プロフェッサー]]としてミネソタ大学に招聘される。1898年から1931年にかけて、英語と[[比較言語学]]の教授として勤めていた。1902年には Charlotte Wahn と結婚{{citation needed|date=December 2015}}。
 
クレーバーは1931年にミネソタ大学の教授職を退いてベルリンへと帰ったが、1936年には第三版を数えることになる ''Beowulf and the Fight at Finnsburg'' の執筆は継続し、1936年には第三版を数えることになった。[[第二次世界大戦]]ではベルリンの彼の邸宅は破壊され、蔵書や記事やメモも失われてしまった。クレーバーは妻と共に[[バート・ケーゼン]]にある彼女の家へと非難し、後の1950年に ''Beowulf and the Fight at Finnsburg'' 第三版に対する第二の補遺として出版することになる原稿の執筆を続けた。この期間、彼は既に書斎を失っており、また[[ソ連占領地域]]であったバート・ケーゼンでは紙の入手にも事欠いたため、研究のためアメリカの同僚や友人から大いに支援を受けた。晩年、クレーバーは貧困に苦しみ、不全[[麻痺]]を呈して寝たきりになっていたが、研究への情熱が途絶えることはなかった。1954年死去。<ref name="damico">{{cite book|last1=Damico|first1=Helen|title=Klaeber's Beowulf|edition=Fourth|year=2008|publisher=U of Toronto P|isbn=978-0-8020-9567-1|pages=vii-ix|author2=Frederick Klaeber|author3=R.D. Fulk|author4=Robert E. Bjork|author5=John D. Niles |chapter=Foreword |url=https://books.google.com/books?id=D5ByhH7Mh0MC&printsec=frontcover&dq=Klaeber%27s+Beowulf:+Fourth+edition&hl=en&sa=X&ei=2DfxUpjXKLTLsQTGzYHoAw&ved=0CEUQ6AEwAA#v=onepage&q=Klaeber's%20Beowulf%3A%20Fourth%20edition&f=false |deadurl=no |accessdate=4 February 2014}}</ref>
 
==''Beowulf and the Fight at Finnsburg''==