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|プロジェクト =
|設計 =
|成果 = 世界最高峰弦楽器の製作
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'''マッテオ・ゴフリラー'''('''Matteo Goffriller'''、[[1659年]] - [[1742年]])は、当時最も重要な音楽の拠点であった[[イタリア]]の[[ヴェネツィア]]で活動した[[ヴァイオリン製作家|弦楽器製作者]]。世界最高峰クラスの[[弦楽器]]を製作し、特に[[チェロ]]の名器を残したことで知られる。

1685年から1735年まで楽器を製作したが、1685年以前の出来事については[[ブレッサノーネ]]で生まれたこと以外あまり分かっていない。ヴェネツィアン・スタイル(スクール)の開拓・創始者でもあり、弟子には[[ドメニコ・モンタニャーナ]]がいる。
 
ゴフリラーのチェロは長い間[[アントニオ・ストラディバリ]]や[[グァルネリ]]一族が製作したチェロなどと誤って認識され、1920年頃になるまでその存在を知られていなかった。[[パブロ・カザルス]]が最後まで愛用したことで知られている1733年製の楽器も、初めは別人製作と誤認されていた。