「マルセル・セルダン」の版間の差分
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セルダンは雪辱を切望し、ラモッタも受け入れ[[ニューヨーク]]での再戦が決定する。その報らせを聞いたセルダンは狂喜、「勝つか、死ぬかだ」と言い残しパリから空路で決戦の地へ向かった。だが1949年[[10月28日]]、搭乗した[[エールフランス]]の[[ロッキード コンステレーション|ロッキード コンステレーション L-749]]機が[[北大西洋]][[アゾレス諸島]]付近に墜落、セルダンも不帰の客となった。この事故では、[[ヴァイオリニスト]]の[[ジネット・ヌヴー]]も死亡している([[1949年エールフランスロッキード コンステレーション墜落事故]])。
[[1991年]]に国際ボクシング名誉の殿堂([[国際ボクシング名誉の殿堂博物館]])入りをしている。[[
遺児マルセル・セルダン・ジュニアも父の遺志を継ぎボクサーとなった。世界ランカーにまで登り詰めたが、世界獲りはならなかった。
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