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rvv 色々意見はあるにせよ、流石に出典偽装を行っていることは看過できません
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関西地方では、コテ(方言でテコとも言う。正式名称は「起し金」)でお好み焼きを食べやすい大きさに少しずつ切り、直接コテに載せて食べる。あらかじめ切り分ける場合は格子状に四角く切るのが普通で、関東地方でよく見られるような放射状に切ることはない。<!--それ以外の地方では、お好み焼きを切り分けて皿に取り、箸を使って食べる事が多い。--><!--広島など他地方でもコテで食べることは一般的。関西に限った風習ではない。-->
 
== 広島お好み焼き ==
{{独自研究|section=1|date=2010年1月}}
[[File:Preparation of okonomiyaki in shimo kitazawa 02.JPG|thumb|250px|[[鉄板]]で調理中のお好み焼き(広島風)]]
[[ファイル:広島お好み焼き.jpg|thumb|right|250px|広島お好み焼き]]
[[File:Hiroshimayaki-henkutsuya.jpg|thumb|250px|ひっくり返す前の状態。奥には大量のキャベツが準備されている。広島市中区新天地]]
=== 特徴 ===
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戦争や原爆で夫を亡くし、自宅の土間を改造して店を始めた女性も多く「〇〇ちゃん」という[[屋号]]が多いのはその名残りである。また、1963年に中国地方を襲った[[昭和38年1月豪雪]]で、中国山地の農村から一家で離村し、[[高度経済成長]]期の広島市に移住した農家の主婦が住宅地に開業した例も多い。現在も町の小さなお店に、老婦人が一人で焼く店舗が残るのは、こうした理由もある。昭和40年代ごろまでは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらう事が出来た。現在は肉や卵 (合わせて肉玉と呼ぶ) は当たり前に手に入ることが多いが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけといったことも珍しくはなく、この頃の野菜だけで作られたお好み焼きの値段は250円程度だった。また、プラスチック製や発泡スチロール製のトレーが普及していなかったため、お店で食べない場合は、各家庭から平らな皿を持っていき、それに出来たお好み焼きをのせてもらったり、新聞紙にくるんで持ち帰っていた。もう少し時代が下ると、ラップで包んで持ち帰っていた。
 
広島お好み焼きの焼き方は、昔から今まで一貫して生地と具材を混ぜずに焼く「重ね焼き」である。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、この頃はまだ、そば等の麺は入れられていなかった。この[[クレープ]]のような生地に、焼きそばやうどんと卵焼きを二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも[[呉市|呉]]地方を中心に残っており「呉焼き」とも呼ばれている<ref>{{Cite web |url=http://www.htv.jp/weblog/okonomi/2009/06/2009616.html|author=[[広島テレビ]]お好み焼き紀行2009年6月16日放送 |title=「お好み焼・鉄板焼 洋ちゃん」 〜“昔ながら”を大切にした一枚〜 |date=2009-6-16|accessdate=2013-04-02}}</ref><ref>{{Cite web |author=「多幸膳」たこちゃんのお好み日記 |coauthors= |date=2012-01-21 |url=http://www.kure-takozen.com/content/view/24/6/ |title=秘密のケンミンSHOWに出演 テーマは「呉焼き」 |accessdate=2013-04-02}}</ref>。円盤状のものに比べて場所をとらないため、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの惣菜のひとつとしてもよく売られており、またやり方によっては片手で食べることも可能になるので、祭りなどの露店ではこのスタイルで売られることもある。
 
戦後の食料事情により、季節により供給量が左右されるネギを、単価が安く年間通して手に入りやすいキャベツに変えた(もやしは後年入れられる事になる)。昭和30年代になると、そば(中華めん)やうどんを入れるようになる。これは、その頃発売された[[インスタントラーメン]]の影響ともいわれている。当時は米はまだ貴重な時代だった。当初おやつ程度の物だったのが、主食に変化していった。具材が多くなったため、二つ折りにしにくくなり、円盤状のままで出すようになった<ref>{{Cite web |author=細井謙一 ([[広島経済大学]]経済学部教授) |date=2012-2-10 |url=http://blogs.yahoo.co.jp/kn_hosoi_hue/39457992.html |title=新ちゃんで、広島お好み焼きの歴史を考える |publisher=広島やらせ乾杯本舗 |accessdate=2013-04-02}}</ref>。こうして、1955年ごろには現在の広島お好み焼きになった。このように、現在のような広島お好み焼きの完成形が突然出来たわけではない。当初は屋台営業の為、他店の[[レシピ]]や調理技術が盗み易く、各店が互いに影響を与えあいながら現在の形へと進化させていった。
 
広島お好み焼きも、最初の頃はウスターソースを使っていた。多くなった具に対応するために、そばを焼そばのようにソースで味付け、さらに表面にも塗っていた時期もあった。しかし、さらさらのウスターソースではお好み焼にしみ込んでしまう欠点があり、ウスターソースに片栗粉を入れてとろみのあるソースを作って欲しいというオーダーにソースメーカーが応えて、濃厚なソースを使うようになった<ref>[http://www.okonomi.co.jp/invention.html みっちゃん総本店お好み焼き発明大辞典]</ref>。その後、広島お好み焼きの生地や具材に合うように甘味や酸味を持たせたり、液体のソース製造時の沈殿液を使うなどの改良がなされた。こうして誕生したお好み焼き用の濃厚ソースを「お好みソース」と呼ぶようになったが、小さな工場では昔ながらの製法で作っている所もある。広島県内のみならず、全国でも[[オタフクソース]]が高いシェアを誇っている。
 
=== 呼称 ===
広島地方においては、広島のお好み焼きのことは単に「お好み焼き」あるいは「お好み」と呼ぶ。ただし、[[三原市|広島県三原市]]では、旧来の麺無しをベースとして「お好み焼き」と呼び、中華麺またはうどん入りを「モダン焼き」と呼んでいる。名前については、当初は決まった名前はなかった。好きな具材を入れていく事で「'''好み焼き'''」と呼ばれていたが、この名称では良くないのではとなり、頭に'''お'''を付けて'''お好み焼き'''になったらしい。今となっては、何が嚆矢であるか正確なところは分からないが、自然発生的に「お好み焼き」という名前が現れ、それが一般に定着して今に至っている{{R|chugokuO403010601}}。
<!--「お好み焼き」は、客が自分で好きなように焼くという意味で戦前の東京で生まれた言葉だが、提供方法や焼き方は異なるもの同種の料理であるため、その名前だけを拝借したと考えられる。これは広島と同様に戦前からの「重ね焼き」の手法が残されている神戸や名古屋などにおいても同様である。 → 出典無し、独自研究。ノートで出典を求めているが提示無し。-->
 
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=== 食べ方 ===
典型的な広島お好み焼きの店は、真ん中に大きな鉄板を擁するテーブルがあり、その周辺にいくつか小さめのテーブルが配置されていることが多い。客はお好み焼きを作る大きな鉄板の周りに座り、焼かれたお好み焼きを鉄板の上から直接小型のヘラを使って食べるのが基本である。
 
しかし、このような大きな鉄板のあるテーブルは店に一つしかないことが多く、鉄板で同時に食べられる人数には限界がある。そのため、店の中には鉄板のない小さいテーブルも配置されており、鉄板で食べない場合はお好み焼きを皿にのせてもらい、箸で食べる。
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同じ広島県内であっても、地域によって色々なバリエーションがある。これらは定番というものではなく、お好み焼きのメニューの一つとして提供されるものである。 特に近年、「ひろしまフードフェスティバル」で「てっぱんグランプリ」を開催して競う傾向にあるため、年々進化しつつある。
 
<!--[[福山市]]など[[岡山県]]境に近い広島県東部 ([[備後国|備後地域]]) では、近畿圏にも近いことから関西風のお好み焼き店が多い。備後地域では関西風のお好み焼きがもともと主流であったところに、後から広島風のお好み焼きが浸透していった。なお、この地域ではお店によって変わった具を入れる所がある。--><!--岡山県を含む備後地域はのせ焼きが主流の地域です。混ぜ焼きの登場以前から洋食焼きは存在していたので、歴史的経緯から考えても後から広島風が浸透したという記述には疑問が残ります。-->[[府中市 (広島県)|府中市]]では、豚バラ肉の代わりに[[挽肉|ミンチ]]肉や細切れ肉を入れ、「[[府中焼き]]」と呼ぶ。地場産業の[[府中家具|家具]]・[[桐箱]]製造業で働く母親が多く、お好み焼きは子どものおやつや晩ご飯だったため、子どもがお小遣いで食べられるようにと、バラ肉ではなく安い合い挽き肉を使ったのが始まりである。ミンチ肉は細かいため熱を通すとよくダシが出てうま味が増し、脂も多く出て麺がカリッと焼き上がるのが特徴。また、卵も溶き卵にしたものをソースを塗ったお好み焼きの上からかけて仕上げる方法も存在する。狭い鉄板でたくさん焼けるようにという工夫から、形は楕円形をしている。[[尾道市]]では砂ズリ([[砂肝]])を入れる店がある。[[三原市]]では、モツ (鶏のレバーやヒモ) を入れる店が市内全体(約80店舗)のうち7割でトッピングとして取り扱いがある。三原市は養鶏が盛んで、鶏肉の生産量は広島県全体の約半数(46%)を占めており、広島県の地域資源にも認定されている。昔から安価で新鮮な鳥モツが容易に手に入れることが可能だったため地域に根付いた。また、そばやうどんを入れたお好み焼きを特に「モダン焼き」と呼び分けるが、これは関西地方独特の呼び方で、広島県内で広島のお好み焼きを出している地域ではあまり見られない特徴。戦前、戦後から三原市の産業基板を築いていた「帝人」や「三菱」では、当時から関連企業の仕事で関西からの来客も多かったと思われ、関西での呼称である「モダン焼」と注文を受けることが多く定着したという見方がされる。[[竹原市]]では、生地に[[酒粕]]と日本酒を練り込んだ「'''竹原焼き'''」を提供する。[[呉市]]ではうどんを入れたり、普通に焼いた後、半分に折り半月型にする場合が多いといった特徴がある。[[庄原市]]は、広島市から離れている事もあってお好み焼きは馴染みの薄いものだったが、近年町おこしの一環として、「'''庄原焼き'''」を考案。そばではなく、庄原産の米を入れてポン酢で仕上げているのが特徴。
 
2014年の「第5回てっぱんグランプリ」に出展された地域の産物を使用した最新のご当地お好み焼きは以下の通り<ref>{{Cite web |author=[[第5回てっぱんグランプリ]] |date= |url=http://ameblo.jp/papilin/entry-11944377519.html |title=「広島フードフェスティバルに行ってきました〜」 |publisher= |accessdate=2014-10-27}}</ref>。
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== 関西風お好み焼きと広島お好み焼き違い ==
2. 調理法 : 「混ぜ焼き」か「重ね焼き」かが関西風と広島の最大の違いとなっている。関西風は、小ぶりのボウルにキャベツや肉などの具と小麦粉と水に溶いた生地を混ぜてから鉄板で焼く、混ぜ焼きが主流である。広島は、鉄板に小麦粉を水等で溶いた生地を薄くクレープ状に伸ばして焼き、その上に具を重ねて焼く重ね焼きで作られる。ただ、関西風はお好み焼きの種類が多様であり、広島同様に重ね焼きをするものもある。
 
3. 麺類 : 関西風ではそば(中華麺)・うどんはトッピングの一例でよく使われ、入れたものは「モダン焼き」「そばのせ」「うどんのせ」と呼ばれる。広島風ではそば・うどんを入れることが多い。入れないものは「素焼き」等と呼ばれる。
 
4. 山芋 : 山芋は生地に混ぜるとふわりとした柔らかい食感を出すことができ、関西風で入れることが多い。生地の薄い広島ではこのような食感を出す必要はなく、むしろパリッとした焼き上がりが重視されるため、入れることは少ない。
 
5. 調理 : 関西風・広島共に店の人が焼く事が多い。大阪を中心に関西の多くのお店では、お店の人が焼くのが一般的であるが、一部のチェーン店や、地方の関西風お好み焼き屋においては、お客が焼く場合もある。広島の多くの店は調理用の鉄板が大きなもの一つしかないこと、重ね焼きが素人には難しいことから、お客が焼くことはほとんど無い。
 
6. 火力 : 広島は重ね焼きで上の方まで火力を及ぼす必要があるため強くなっている。また、関西風・広島共に客が鉄板から直接食べるため、同時に多くのお好み焼きが鉄板上にあっても温度が下がらないよう、熱容量の高い厚めの鉄板が使われている。
 
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