「世紀末」の版間の差分

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'''世紀末'''(せいきまつ)とは、一つの[[世紀]]の終わりである。当然、どのような[[紀元]]の[[暦|暦法]]であれ「世紀末」は存在するが、日本語では断りがなければ[[西暦]]の世紀末を指すのが一般的である。なお、「世紀の最後の年」としての世紀末は、西暦で下二桁が99の年(例:[[1999年]]、[[2099年]])ではなく、西暦で下二桁が00の年(例:[[1900年]]、[[2000年]])である。対義語で、一つの世紀の始まりは「[[新世紀]]」と呼ばれる。
 
[[歴史]]的には、'''[[19世紀]]末の[[西洋文化]][[思潮]]''' (''Fin de siècle'' ) を指す語として用いられる。また、「世紀末」という語自体は価値中立的であるが、日本では「'''[[終末論|世の終わり]]'''」と混同されることが度々ある。
 
== 19世紀の「世紀末」 ==
[[19世紀]]に[[ヨーロッパ]]で用いられた「世紀末」(特に[[フランス語]]のファン・ド・シエクル / ''Fin de siècle'' )には、「世紀の末」という本来の意味に留まらない二つの含意があった。一つ目は、繁栄した時代(19世紀に即せば[[ベル・エポック]])の末期の退廃([[デカダンス]])である。二つ目は、一つの世紀ないし時代区分が「終わる」時に待望される切迫した変化を見越した興奮や変化への絶望である。これらの思潮により、19世紀末には「世紀末」という概念が(ヨーロッパの人々の中で)かつてないほど意識されるものとなった。
 
フランス語で表現した場合に、特にこうしたイメージと結びつくのは、その語が[[パリ]]や[[ブリュッセル]]の芸術家集団(およびその運動)と結びついていたことに由来すると思われる。そこには、[[ステファヌ・マラルメ]]のような詩人、[[象徴主義]]のような芸術思潮、そして[[オスカー・ワイルド]]の『[[サロメ (戯曲)|サロメ]]』のような作品が含まれる(「[[世紀末芸術]]」も参照)。
 
== 20世紀の日本 ==
[[20世紀]]の第四クォーター([[1976年]][[2000年]])における日本では、「世紀末」と「世の終わり」が同義語と見なされる事が度々あった。
 
これは、古くから「世も末」といった表現で通俗的にも根付いていた「[[末法思想|末世]]」と混同された可能性のほか、[[五島勉]]のベストセラー『[[ノストラダムスの大予言]]』([[1973年]]発行)によって、「[[1999年]]人類滅亡」という言説が広く知られるようになった結果、20世紀末と世界滅亡が直接結び付けれてしまったこと、世紀末の荒廃した世界を題材にした[[フィクション]]作品の影響などが一因として挙げられる。
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== フランスの「ファン・ド・シエクル」 ==
現在の[[フランス]]では、「ファン・ド・シエクル」([[:fr:''Fin de siècle|Fin'' de siècle]]) は、[[ノルマンディー]]地方の[[チーズ]]の名前になっている。
 
== グレゴリオ暦と世紀末閏年 ==