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==歴史==
モギリョフ県は、第一次[[第1次ポーランド分割]]によって帝政ロシアに編入された地域のうち、南部を範囲として制定された行政区画である(北部には[[プスコフ県]]が制定された)。ロシアへの編入は1772年であった<ref name="小ブロエフ">[[:ru:s:МЭСБЕ/Могилевская губерния|Могилевская губерния]] // Малый энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона</ref>。
この時期の帝政ロシアでは、グベールニヤ(県)の下位区分として[[プロヴィンツィヤ]](郡<ref>井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P845</ref>あるいは地区<ref>田中陽兒、倉持俊一、和田春樹編『世界歴史大系 ロシア史 2 -18世紀~19世紀-』山川出版社、1994年、P29</ref>)が設置されており(1775年に廃止)、設立当初のモギリョフ県は、モギリョフ[[:ru:Могилёвская провинция|(ru)]]、ムスチスラヴリ[[:ru:Мстиславская провинция|(ru)]]、オルシャ[[:ru:Оршанская провинция|(ru)]]、ロガチョフ[[:ru:Рогачёвская провинция|(ru)]]の4プロヴィンツィヤから成っていた。その後の行政改革により、モギリョフ県内の下位区分は、12の[[ウエズド]](郡<ref>井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P1161</ref><ref>東郷正延ら編 『研究社露和辞典(携帯版)』 研究社、1988年、P2434</ref>)に再編された。