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[[File:Lee-Kerslake.jpg|thumb|160px|right|リー・カースレイク(Ds) 1973年]]
==== 黎明期 ====
*[[1970年]] スパイスが'''ユーライア・ヒープ'''に改名。途中ドラマーをナイジェル・オルソンに変更するも、ファースト・アルバム『...ヴェリー・ヘヴィ・ヴェリー・ハンブル(''VERY 'EAVY, VERY 'UMBLE'')』を完成させ、[[ヴァーティゴ|ヴァーティゴ・レーベル]]からデビュー。ミック・ボックスは1995年版CDのライナーノーツに「スタジオに入った時は4人組のスパイスだったのに、出てきた時は5人組のユーライア・ヒープになっていた」と書いている。この改名は[[ブロンズレコード]]の社長兼ユーライア・ヒープのマネージャーのジェリー・ブロン(1933‐2012)の提案によるもので、ちょうど没後100周年でイギリス国内が[[チャールズ・ディケンズ|ディケンズ]]・ブームだったためにこの名前が目に留まったという。(『ユーライア・ヒープ』は、ディケンズの小説『[[デイヴィッド・コパフィールド]]』の登場人物)アルバムのタイトルもディケンズの描写に由来し、heavy、humbleのhが落ちているのもヒープの喋り方を模しているため。ファースト・アルバムのツアーでは、短期間だけツアーに参加したナイジェル・オルソンに変わり、キース・ベイカーがドラムを務める。
*[[1971年]] シンフォニックなセカンド・アルバム『ソールズベリー(''SALISBURY'')』を発表。同年ドラマーをイアン・クラークに交替させ、[[ブロンズ・レベル]]から代表作サード『[[対自核]](''LOOK AT YOURSELF'')』を発表<ref>[http://music-book.jp/music/news/column/107089 ユーライア・ヒープの名を世界に轟かせた代表作『対自核』] - music.jp</ref>。
 
==== 全盛期 ====
*[[1972年]] ドラマーにリー・カースレイク、ベーシストにマーク・クラークを迎える。ツアーから参加したクラークはわずか3ヶ月在籍しただけで次作の制作レコーディング中に脱退。後任ベーシストにニュージーランド出身のゲイリー・セインを加入して、[[ロジャー・ディーン]]をアート・ワークに起用した『[[悪魔と魔法使い]](''DEMONS AND WIZARDS'')』発表。同アルバムからは「安息の日々('' Easy Livin'')」が日本でスマッシュ・ヒットした。続いて、同傾向の『[[魔の饗宴]](''THE MAGICIAN'S BIRTHDAY'')』を発表。こちらもアート・ワークをロジャー・ディーンが担当した。対自核からの3枚は、ユーライア・ヒープの歴史の中で、最も人気の高い作品として評価されている
*[[1973年]] 3月に日本武道館を含む初来日公演を行う(5公演)。同年『スウィート・フリーダム(''SWEET FREEDOM'')』発表。
*[[1974年]] 初期ヒープらしさを持った最後のアルバム『夢幻劇(''WONDERWORLD'')』発表。ゲイリー・セインはコンサート中に感電事故に遭い重傷を負う。グループに復帰はするものの薬物中毒から脱却することができずにグループはセインを解雇する。
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*[[1974年]]、[[キング・クリムゾン]]の[[ジョン・ウェットン]]が、レコーディングにベーシスト兼ヴォーカルとして加入し、[[1975年]]にアルバム『幻想への回帰(''RETURN TO FANTASY'')』を発表。グループにとって唯一の英国のアルバム・チャートトップ10入り作品となる最高位7位を記録している。
*:12月にゲイリー・セインがヘロインの[[過剰摂取]]の事故により死亡({{没年齢|1948|5|15|1975|12|8}})。
*[[1976年]]、曲作りの時点から参加したウェットンとヘンズレ共作を含むスタジオ・アルバム『ハイ・アンド・マイティ(''HIGH AND MIGHTY'')』を発表、ウェットンがヘンズレとリード・ヴォーカルをともにとる「ワン・ウェイ・オア・アナザー(''One Way Or Another'')」はシングルとしてリリースされた。<br />また同年バンドは[[アルコール依存症|アルコール中毒]]の問題を抱えていたデヴィッド・バイロンを解雇。そしてジョン・ウェットンは[[UK (バンド)|UK]]の活動専念のためにグループを脱退している。
 
==== デヴィッド・バイロン脱退〜ケン・ヘンズレー脱退 ====
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*[[1977年]] 新ヴォーカリストに[[ジョン・ロートン]]、新ベーシストにトレヴァー・ボルダーを迎え、『ファイアフライ(''FIREFLY'')』発表。
*[[1978年]] ハード・ポップ色を色濃くした佳作『罪なきいけにえ(''INNOCENT VICTIM'')』発表。再び散漫なアルバム『堕ちた天使(''FALLEN ANGEL'')』発表。1979年に''Five Miles''セッションでアルバム1枚分のマテリアルを残すものの、リー・カースレイクとジョン・ロートンが脱退し、幻のアルバムと化す(この時期の再発CD盤などで一部音源が聴ける)。
*[[1980年]] ジョン・スローマンをヴォーカル、[[クリス・スレイド]]をドラムに迎えた『征服者(''CONQUEST'')』発表。オリジナル・キーボーディストのケン・ヘンズレー脱退。後に[[カナダ]]人キーボーディストのグレッグ・デシャートを迎え『シンク・イット・オーバー(''Think It Over'')』発表。アルバムも1枚分のマテリアルを残すものの未発表に終わる。トレヴァー・ボルダー、ジョン・スローマン、クリス・スレイド、グレッグ・デシャート脱退。その後、ユーライア・ヒープは活動停止状態へ。ミック・ボックスは'''ミック・ボックス・バンド'''として活動を続ける。
 
==== 再始動 ====
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==== 元グランプリ組加入〜リー・カースレイク脱退 ====
*[[1986年]] かつて所属していた[[ブロンズ・レベル]]倒産。ヴォーカリストにステフ・フォンテイン、キーボーディストにフィル・ランゾンを迎えて活動再開。11月にフォンテインを解雇し、ヴォーカリストをバーニー・ショウに変更し活動。
*[[1988年]] 新ラインナップで収録したライブ・アルバム『ライブ・イン・モスクワ(''LIVE IN MOSCOW'')』発表。
*[[1989年]] 新ラインナップでは初となるスタジオ・アルバム『レイジング・サイレンス(''RAGING SILENCE'')』発表。
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=== 歴代メンバー ===
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==== キーボード ====
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*[[ジョン・シンクレア (ミュージシャン)|ジョン・シンクレア]](1981年-1985年、三代目キーボード、元[[ヘヴィ・メタル・キッズ]]、元[[ライオン (バンド)|ライオン]]。脱退後は[[オジー・オズボーン|オジー・オズボーン・バンド]])
 
==== ヴォーカル ====
*[[デヴィッド・バイロン]](1970年-1976年、初代ヴォーカリスト、故人、元スパイス。脱退後は、[[ラフ・ダイアモンド]]、ソロ)
*[[ジョン・ロートン]](1976年-1979年、二代目ヴォーカリスト、元[[アステリックス (バンド)|アステリックス]]、元[[ルシファーズ・フレンド]]、元[[レス・ハンフリーズ・シンガーズ]]。脱退後は[[ルシファーズ・フレンド]]、[[レベル (バンド)|レベル]]、[[ZAR (バンド)|ZAR]]、[[ルシファーズ・フレンドII]]、[[ガンヒル]]、ソロ、[[オン・ザ・ロックス]])
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*[[ステフ・フォンテイン]](1986年、五代目ヴォーカリスト、元[[ジョシュア (バンド)|ジョシュア]]。脱退後は[[ハートエイク・シティ]])
 
==== ドラムス ====
*[[アレックス・ネピアー]](1970年、初代ドラマー)
*[[ナイジェル・オルソン]](1970年、二代目ドラマー、元[[プラスチック・ペニー]]。脱退後は[[エルトン・ジョン・バンド]]、ソロ、[[ウォーパイプス]]、セッションドラマー)
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*[[クリス・スレイド]](1979年-1981年、五代目ドラマー、元[[トム・ジョーンズ (歌手)|トム・ジョーンズ&スクワイヤーズ]]、元[[トゥーモロー]]、元[[マンフレッド・マン (バンド)|マンフレッド・マンズ・アースバンド]]、元[[テラ・ノヴァ]]。脱退後は[[ゲイリー・ニューマン|ゲイリー・ニューマン・バンド]]、[[デヴィッド・ギルモア|デヴィッド・ギルモア・バンド]]、[[ザ・ファーム (The Firm)|ザ・ファーム]]、[[ゲイリー・ムーア|ゲイリー・ムーア・バンド]]、[[AC/DC]]、[[エイジア]]、[[マイケル・シェンカー・グループ]])
 
==== ベース ====
*[[ポール・ニュートン]](1970年-1971年、初代ベーシスト、元ゴッズ)
*[[マーク・クラーク]](1971年-1972年、二代目ベーシスト、元[[コロシアム (バンド)|コロシアム]]。脱退後は[[テンペスト (バンド)|テンペスト]]、[[ナチュラル・ガス]]、[[レインボウ (バンド)|レインボウ]]、[[ヘンリー・グロス・バンド]]、[[ビリー・スクワイヤー]]、[[イアン・ハンター|イアン・ハンター・バンド]]、[[マウンテン (バンド)|マウンテン]]、[[デイヴィー・ジョーンズ|デイヴィー・ジョーンズ・バンド]]、[[コロシアム (バンド)|コロシアム]])
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*[[トレヴァー・ボルダー]](1976年-1981年、1983年-2013年、五代目ベーシスト、故人、元[[スパイダーズ・フロム・マーズ]]。脱退後は[[ウィッシュボーン・アッシュ]])
*[[ボブ・デイズリー]](1981年-1983年、六代目ベーシスト、元[[カァーバス・ジュート]]、元[[チッキン・シャック]]、元[[ウィドウメイカー]]、元[[レインボウ (バンド)|レインボウ]]、元[[オジー・オズボーン|オジー・オズボーン・バンド]]。脱退後はオジー・オズボーン・バンド、[[ゲイリー・ムーア|ゲイリー・ムーア・バンド]]、[[ブラック・サバス]]、[[マザーズ・アーミー]]、[[カァーバス・ジュート]]、[[フーチー・クーチー・メン]])
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== ディスコグラフィ ==
 
<div style="height: 400px; overflow: auto; padding: 3px; border: 1px solid #ababab">
=== スタジオ・アルバム ===
* ...ヴェリー・ヘヴィ・ヴェリー・ハンブル (原題 : ''[[:en:Very 'eavy... Very 'umble|VERY 'EAVY... VERY 'UMBLE]]'') ......1970年発表
* ソールズベリー (原題 : ''[[:en:Salisbury (album)|SALISBURY]]'')......1971年発表
* [[対自核]] (原題 : ''[[:en:Look at Yourself|LOOK AT YOURSELF]]'')......1971年発表
* [[悪魔と魔法使い]] (原題 : ''[[:en:Demons and Wizards (Uriah Heep album)|DEMONS AND WIZARDS]]'')......1972年発表
* [[魔の饗宴]] (原題 : ''[[:en:The Magician's Birthday|THE MAGICIAN'S BIRTHDAY]]'')......1972年発表
* スウィート・フリーダム (原題 : ''[[:en:Sweet Freedom|SWEET FREEDOM]]'')......1973年発表
* 夢幻劇 (原題 : ''[[:en:Wonderworld (album)|WONDERWORLD]]'')......1974年発表
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* Official Bootleg 1:LIVE AT SWEDEN ROCK FESTIVAL 2009......2010年発表
* Official Bootleg 2:Live in Budapest 2010......2010年発表
* [[ライヴ・イン・カワサキ 2010|Official Bootleg 3:Live in Kawasaki Japan 2010]] ......2011年発表
* Official Bootleg 4:Live from Brisbane 2011......2011年発表
* Official Bootleg 5:Live in Athens Greece 2011......2011年発表
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== 脚注 ==