削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''司馬 遐'''(しば か、[[273年]] - [[300年]])は、[[中国]]の[[西晋]]の[[宗室]]。清河康王。[[字]]は'''深度'''。初代皇帝[[司馬炎]](武帝)の子。生母は[[陳美人]](美人は後宮の位号)。
 
== 経歴 ==
12行目:
6月、[[恵帝 (西晋)|恵帝]](司馬衷)の皇后[[賈南風]]は国政を掌握していた汝南王[[司馬亮]]と[[録尚書事]][[衛カン|衛瓘]]を排斥するため、楚王[[司馬瑋]]に密詔を与えて彼らの捕縛を命じた。司馬瑋は自ら統括している北軍を動かして挙兵すると、司馬遐に衛瓘の逮捕を命じた。これを受け、司馬遐は衛瓘邸を包囲すると、衛瓘はこれと争わずに逮捕を受け入れた。司馬遐配下の帳下督[[栄晦]]はかつて罪を侵して衛瓘に罰せられた事があり、栄晦は私怨を晴らすために衛瓘と子の[[衛恒]]・[[衛嶽]]・[[衛裔]]と孫等9人を殺害した。司馬遐はこれを制止することが出来なかったので、当時非難の的となった。
 
[[300年]]、死去した。享年は28であった。康と諡された。子の[[司馬覃]]は後に皇太子に立てられた。
 
== 子女 ==