「神の王国」の版間の差分

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天国(天の国)と神の国(神の王国)の対応を見ると、例えばイエスが[[洗礼者ヨハネ]]から洗礼を受け、洗礼者ヨハネの逮捕ののち独立して一人で宣教を始めるその第一声が『[[マルコによる福音書]]』では「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」<ref name=kMark1:15 />であるが、『マタイによる福音書』では「悔い改めよ、天国は近づいた」<ref name=kMat4:17 />となっている。この天国(天の国)という表現・用語は、『[[旧約聖書]]』『[[新約聖書]]』全巻をとおして『マタイによる福音書』のみで使われている<ref group="注" name=Ezr237 />。その使用回数は「神の国」の5か所<ref name=Mat6:33etc />に比して「天国(天の国)」はその6倍以上の33か所である<ref name=nidKh />。このように『マタイによる福音書』で「天国(天の国)」が多用されるのは『マタイによる福音書』の[[福音書記者|記者]]が「「神」 のかわりに 「天」 という語を用いる当時のユダヤ人の言葉遣いに」<ref name=kodPNmsgHeaven />ほぼ従っているからである。
 
== 概要旧約聖書 ==
=== 旧約聖書 ===
[[ヘブライ思想]]を淵源とする宗教概念あるいは観念「神の王国」とは「神が王として支配すること」「神の支配する領域」<ref name=niBar3:24 />「神の王的支配」を意味する<ref name=iwaCh231 />。これは例えば『[[旧約聖書]]』所収の『[[詩篇]]』145篇13節「あなたの国はとこしえの国です。あなたのまつりごとはよろずよに絶えることはありません。」<ref>『口語訳聖書』</ref>といった箇所に見られるような観念にさかのぼることが出来る<ref name=iwaCh231 /><ref group="注" name=psm145:13 />。
 
=== 新約聖書 ===
====『マタイによる福音書』====
===== 洗礼者ヨハネ =====
[[画像:Gerson-Chrzest Chrystusa.jpg|thumb|150px|イエスと洗礼者ヨハネ([[ヴォイチェフ・ゲルソン]]画)]]
『マタイによる福音書』によれば、まず[[洗礼者ヨハネ]]が「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣教し<ref name=kMat3:1f />、人々に[[バプテスマ]]を施す<ref name=skMat3 />。イエスはその洗礼者ヨハネから洗礼を受けて弟子になり<ref name=iwaCh66f />、洗礼者ヨハネの逮捕ののち独立して一人で宣教を開始する。その第一声は洗礼者ヨハネと同じ「悔い改めよ、天国は近づいた」<ref name=skMat4:17 />である。洗礼者ヨハネは、1世紀のユダヤ人歴史家[[ヨセフス]]の『[[ユダヤ古代誌]]』で「大きな影響力」<ref name=ajVIII116f />があったと言及されている人物だが、その洗礼者ヨハネが「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかた」と述べている<ref name=skMat3:11 />。これは、イエスが洗礼者ヨハネの元に来てバプテスマを受けようとした際にイエスを「思いとどまらせようとして」「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」<ref name=kMat3:14 />と述べている事から、「わたしよりも力のあるかた」とはイエスを指していると読み取れる。しかし、ドイツの代表的新約聖書学者の一人<ref name=MY1981p510 />{{仮リンク|キュンメル|de|Werner Georg Kümmel}}は著書『新約聖書神学』で、洗礼者ヨハネは「わたしよりも力のあるかた」についてイエスと名指ししてはいないこと、さらに洗礼者ヨハネが獄中から弟子を通して「『きたるべきかた』<ref group="注" name=SH1991p84 />はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」とイエスに尋ねた<ref name=kMat11:2f />ことなどを検討し、洗礼者ヨハネがイエスについて「神に遣わされた終末時の福音の使者である…という確信に至ったか否かは知り得ない。」<ref name=WGK43 />と結論している。
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イエスは、洗礼者ヨハネを「預言者以上の者」<ref name=niMat11:9 />で「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」<ref name=niMat11:11 />と高く評価する一方、すぐ続けて「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」<ref name=niMat11:11 />と付言する。イエスによれば洗礼者ヨハネは「実は、現れるはずの[[エリヤ]]<ref group="注" name=Eli />である。」<ref name=niMat11:14 />その洗礼者ヨハネ出現以後の天の国について、イエスは「天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。 」<ref name=niMat11:12 />と言う。この「激しく襲う者」については否定的あるいは肯定的等に解釈する諸説があるが、いずれにしても『マタイによる福音書』は洗礼者ヨハネの出現がユダヤ人社会の「天の国」概念に大きな影響を及ぼしたことを暗示している<ref name=SH1991p85 />。
 
===== イエス =====
[[画像:Bloch-SermonOnTheMount.jpg|thumb|150px|山上の垂訓([[カール・ハインリッヒ・ブロッホ]]画)]]
イエスがいわゆる[[山上の垂訓]]を語った際には最初に「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」と語り始めた<ref name=skMat5 />。「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」とも語った<ref name=skMat5 />。[[主の祈り]]について教えた時には「御国がきますように」と祈るように教え、神の王国が来ることを待ち望むようにと教えた<ref name=skMat6:9 />。