「ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)」の版間の差分

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| 全名 =
| 出生日 = [[1218年]][[5月1日]]
| 生地 = {{HRR}}、リンブルク城
| 死亡日 = [[1291{{死亡]][[715]]と没年齢|1218|5|1|1291|7|15}}
| 没地 = {{HRR}}、[[ゲルマースハイム]]
| 埋葬日 =  
| 埋葬地 = {{HRR}}、[[シュパイアー大聖堂]]
| 継承者 =
| 継承形式 =
| 配偶者1 = ゲルトルート・フォン・ホーエンベルク(アンナ)
| 配偶者2 = イザベラ・フォン・ブルグント
| 配偶者3 =
| 配偶者4 =
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| 王朝 = [[ハプスブルク朝]]
| 父親 = ハプスブルク伯アルブレヒト4世
| 母親 = ハイルヴィヒ・フォン・キーブルク
| 宗教 =
| サイン =
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== 家族 ==
[[1253年]]に[[ホーエンツォレルン家|ツォレルン家]]のホーエンベルク伯([[:de:Hohenberg (schwäbisches Adelsgeschlecht)|de]])ブルクハルト5世の娘ゲルトルート([[:de:Gertrud von Hohenberg|de]]、1225年 - 1281年)と結婚し、多くの子をもうけた。ゲルトルートの死後、[[1284年]]に[[カペー家]]の[[ブルゴーニュ公]][[ユーグ4世 (ブルゴーニュ公)|ユーグ4世]]の娘イザベラことエリザベート([[:de:AgnesIsabella von Burgund|de]]、1270年 - 1323年)と結婚した。2人の間の子はおらず、イザベラはルドルフの死後ピエール・ド・シャンブリーと再婚した。婚姻外交はハプスブルク家の発展の原動力とも言え、ルドルフも婚姻を通じての外交関係の構築を展開した<ref name="emura-s8">江村『ハプスブルク家史話』、8頁</ref>。ゲルトルートとの間に生まれた子のうち2人をボヘミアのプシェミスル家の人間と結婚させ、ボヘミアへの影響力を強化した<ref name="emura-s8"/>。帝国諸侯の元にはマティルデとアグネスを嫁がせ、さらには[[イングランド王国]]とナポリ王国との婚姻関係の構築も計画していた<ref>江村『ハプスブルク家史話』、9頁</ref>。
* マティルダ(1251/53年頃 - 1304年) - [[バイエルン大公|上バイエルン公]]兼[[ライン宮中伯]][[ルートヴィヒ2世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ2世]]と結婚。バイエルン公[[ルドルフ1世 (バイエルン公)|ルドルフ1世]]と皇帝[[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]の母。
* [[アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト1世]](1255年 - 1308年) - ローマ王、オーストリア公、シュタイアーマルク公。