「神の王国」の版間の差分

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==== 洗礼者ヨハネ ====
[[画像:Gerson-Chrzest Chrystusa.jpg|thumb|150px|イエスと洗礼者ヨハネ([[ヴォイチェフ・ゲルソン]]画)]]
『マタイによる福音書』によれば、まず[[洗礼者ヨハネ]]が「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣教し<ref name=niMat3:2 />、人々に[[洗礼]]を施す<ref name=niMat3 />。イエスはその洗礼者ヨハネから洗礼を受けて弟子になり<ref name=iwaCh66f />、洗礼者ヨハネの逮捕ののち独立して一人で宣教を開始する。その第一声は洗礼者ヨハネと同じ「悔い改めよ。天の国は近づいた」<ref name=niMat4:17 />である。洗礼者ヨハネは、1世紀のユダヤ人歴史家[[ヨセフス]]の『[[ユダヤ古代誌]]』で「大きな影響力」<ref name=ajVIII116f />があったと言及されている人物だが、その洗礼者ヨハネが「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかた」<ref name=kMat3:11 />と述べている。これは、イエスが洗礼者ヨハネの元に来てバプテスマ洗礼を受けようとした際にイエスを「思いとどまらせようとして」「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」<ref name=niMat3:14 />と述べている事から、「わたしよりも力のあるかた」とはイエスを指していると読み取れる。しかし、ドイツの代表的新約聖書学者の一人<ref name=MY1981p510 />{{仮リンク|キュンメル|de|Werner Georg Kümmel}}は著書『新約聖書神学』<ref group="注" name=TNT" />で、「わたしよりも力のあるかた」について洗礼者ヨハネはイエスと名指ししてはいないこと、さらに洗礼者ヨハネが獄中から弟子を通して「『きたるべきかた』<ref group="注" name=SH1991p84 />はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」<ref name=kMat11:3 />とイエスに尋ねたことなどを検討し、洗礼者ヨハネがイエスについて「神に遣わされた終末時の福音の使者である…という確信に至ったか否かは知り得ない。」<ref name=WGK43 />と結論している。
 
イエスは、洗礼者ヨハネを「預言者以上の者」<ref name=niMat11:9 />で「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」<ref name=niMat11:11 />と高く評価する一方、すぐ続けて「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」<ref name=niMat11:11 />と付言する。その洗礼者ヨハネ出現以後の天の国について「天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。 」<ref name=niMat11:12 />とイエスは言う。この「激しく襲う者」については否定的あるいは肯定的等に解釈する諸説があるが、いずれにしても『マタイによる福音書』は洗礼者ヨハネの出現がユダヤ人社会の「天の国」概念に大きな影響を及ぼしたことを暗示している<ref name=SH1991p85 />。