「オーストリア=ハンガリー帝国」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
267行目:
1910年(明治44年)[[テオドール・エードラー・フォン・レルヒ]](Theodor Edler von Lerch、1869年8月31日 - 1945年12月24日)オーストリア=ハンガリー帝国の軍人(当時の階級は少佐)。[[日露戦争]]でロシア帝国に勝利した[[日本陸軍]]の研究のため、1910年11月に交換将校として来日、翌年[[新潟県]][[上越市]]において日本で初めて本格的な[[スキー]]指導(ただし一本杖を用いたスキー術)をおこなった。さらに1912年には[[旭川市|旭川]]で指導した。
 
1910年(明治44年)[[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール]]皇太子と[[マ公国|ボン=パルマ公女]][[ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ|ツィタ]]の結婚にたいして[[明治天皇]]がフランツ・ヨーゼフ1世に「大祝辞」を発する。
:威徳隆盛なる朕の良友に復す。
:陛下の鍾愛なる皇甥カール、フランツ、ヨーゼフ親王殿下とジタ、ド、ブルボーン、プランセス、ド、パルム女王殿下と本年十月二十一日結婚の式礼を挙行せらたる旨同月二十六日附の親翰を以て報せられ朕欣然之を領せり。朕は此慶事に対し陛下と陛下と皇室とともに歓喜を同ふし茲に誠実なる祝詞を呈する共に成婚両殿下の悠久に幸福を享有せられんことを懇祷す。此の機に際し朕は陛下に対し至高の敬意と不渝(「不変」の意味)の友情とを致す。