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{{基礎情報 武士
'''大石 定仲'''(おおいし さだなか、[[天文 (元号)|天文]]3年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]([[1534年]][[12月21日]]) - [[天正]]18年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]([[1590年]][[3月6日]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武蔵国]]の[[武将]]。[[大石定久]]の子。播磨守。義兄に[[北条氏照]](姉の比佐の婿)がいる。室は[[松田康定]]の娘。子に[[大石直久]]。
| 氏名 = 大石定仲
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[安土桃山時代]]
| 生誕 = [[天文 (元号)|天文]]3年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]([[1534年]][[12月21日]])
| 死没 = [[天正]]18年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]([[1590年]][[3月6日]])
| 改名 =
| 別名 =
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 =
| 霊名 =
| 墓所 =
| 官位 = [[播磨国#国司|播磨守]]
| 幕府 =
| 主君 = [[北条氏照]]
| 藩 =
| 氏族 = [[大石氏]]
| 父母 = 父:[[大石定久]]
| 兄弟 = 比佐(北条氏照正室)、'''定仲'''<br/>養兄弟:''北条氏照''([[北条氏康]]三男)、<br/>''[[大石定勝|定勝]]''
| 妻 = [[松田康定]]娘
| 子 = [[大石直久|直久]]
| 特記事項 =
}}
 
'''大石 定仲'''(おおいし さだなか)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[武将]]。[[後北条氏]]の家臣。
== 経歴 ==
[[大石氏]]は代々[[関東管領]][[上杉氏]]重臣として武蔵守護代を任されていた。父の定久は、没落した上杉氏に代わり、[[永禄]]2年([[1559年]])、台頭してきた[[北条氏康]]の三男・[[北条氏照|氏照]]を娘・比佐の婿養子として迎え入れて[[滝山城]]と武蔵守護代の座を譲り、[[多摩郡]]五日市の[[戸倉城]]に[[隠居]]し[[後北条氏]]に臣従した。定仲は、父の没後に氏照が北条氏に復すると大石氏の家督を継ぎ、氏照の旗下の滝山衆となった。そして、[[小田原征伐]]を前にして没した。
 
== 歴 ==
{{デフォルトソート:おおいし さたなか}}
[[大石氏]]は代々[[関東管領]]・[[上杉氏]]重臣として[[武蔵国]][[守護代]]を任されていた。
 
[[大石氏天文 (元号)|天文]]は代々3年([[関東管領1534年]])、[[上杉氏大石定久]]重臣の子として武蔵守護代を任されていた誕生。父定久は、没落した上杉氏に代わり、[[永禄]]2年([[1559年]])、台頭してきた[[北条氏康]]の三男・[[北条氏照|氏照]]を娘・比佐の婿養子として迎え入れて[[滝山城]]と武蔵守護代の座を譲り、[[多摩郡]]五日市の[[戸倉城]]に[[隠居]][[後北条氏]]に臣従した。定仲は、父の没後に氏照が北条氏に復すると大石氏の家督を継ぎ、氏照の旗下の滝山衆となった。そして、[[小田原征伐]]を前にして没した。
 
定仲は、父の没後に氏照が北条氏に復すると大石氏の家督を継ぎ、氏照の旗下の滝山衆となった。
 
[[天正]]18年([[1590年]])[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]、[[小田原征伐]]の直前に死去。
 
{{デフォルトソートDEFAULTSORT:おおいし さたなか}}
[[Category:大石氏|さたなか]]
[[Category:戦国武将]]
[[Category:後北条氏|臣おおいし  さたなか]]
[[Category:1534年生]]
[[Category:1590年没]]