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[[1908年]](明治41年)、[[田島錦治]]に請われ、京都帝大の講師となって以後は研究生活を送る。[[1912年]]には、これまでの自己の研究を総括した論文集『経済学研究』を執筆する。[[1913年]]([[大正]]2年)から[[1915年]](大正4年)にかけて2年間のヨーロッパ留学に赴く。[[1914年]]には法学博士の学位を授与される<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952800/7 『官報』第693号、大正3年11月21日、p.491]</ref>。帰国後、教授。[[1916年]](大正5年)から新聞に『貧乏物語』を連載し、翌年出版。[[大正デモクラシー]]の風潮の中、貧困というテーマに経済学的に取り組んだ書はベストセラーになった。中には[[マルクス経済学]]の紹介もあるが、結論は、貧乏をなくすには金持ちが奢侈をやめることだというものだった。河上は『貧乏物語』の中で「[[ワーキングプア]]が生まれるのは、富裕層が贅沢をして、社会が貧者の生活必需品を作らないからである」という批判を行い、社会全体が贅沢を止め、質素倹約をすれば貧困の問題は解消されると論じた<ref>[[田中秀臣]] 『不謹慎な経済学』 講談社〈講談社biz〉、2008年、60頁。</ref>。しかし、その結論に対し、[[福田徳三]]や[[社会主義]]者の[[堺利彦]]は「現実的ではない」と痛烈に批判している。
 
[[1920年]](大正9年)9月に京大で経済学部長になる。その後、マルクス経済学に傾倒し、研究を進める。[[1921年]](大正10年)河上が執筆した論文「断片」のため、雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』は発売禁止となるが、この論文はのちに[[虎の門事件]]を起こす[[難波大助]]に影響を与えたという。[[1924年]]、労農派の[[櫛田民蔵]]が河上のマルクス主義解釈は間違っていると痛烈に批判した<ref>田中秀臣 『沈黙と抵抗-ある知識人の生涯、評伝・住谷悦治』 藤原書店、2001年、228頁。</ref>。河上は批判が的を射ていることを認め<ref>田中秀臣 『沈黙と抵抗-ある知識人の生涯、評伝・住谷悦治』 藤原書店、2001年、228-229頁。</ref>、マルクス主義の真髄を極めようと発奮する。『[[資本論]]』などマルクス主義文献の翻訳を進め、河上の講義は学生にも大きな影響を与えた。[[1928年]](昭和3)3年)、京都帝大を辞職<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447046/176 『京都帝国大学一覧 昭和4年』京都帝国大学、1929年8月、pp.333-334]</ref>し、[[大山郁夫]]のもと[[労働農民党]]の結成に参加。[[1930年]](昭和5年)、京都から東京に移るが、やがて労働農民党は誤っていると批判し、大山と決別。雑誌『改造』に『第二貧乏物語』を連載し、マルクス主義の入門書として広く読まれた。
 
[[昭和恐慌]]のときには、河上は[[デフレ]]を放置しても問題ではなく、デフレを脱却しても資本主義経済の限界は解消されないと主張した<ref>田中秀臣編著 『日本経済は復活するか』 藤原書店、2013年、288頁。</ref>。
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== 著作 ==
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*『経済学上之根本観念』昌平堂川岡書店 千駄木叢書 1905
*『日本尊農論』[[横井時敬]]閲 読売新聞日就社 虚遊軒文庫 1905
*『社会主義評論』[[読売新聞社]] 1906
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*『金ト信用ト物価 輓近物価騰貴之一研究』京都法学会 法律学経済学研究叢書 1913
*『経済原論』有斐閣 1913
*『祖国を顧みて』[[実業之日本社]] 1915 『祖国を顧みて 西欧紀行』[[岩波文庫]]
*『社会問題管見』[[弘文堂]]書房 1918
*『[[貧乏物語 (河上肇)|貧乏物語]]』弘文堂 1917 のち岩波文庫
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*『自叙伝』全4巻 [[世界評論社]] 1947-48 のち岩波文庫
*『[[陸放翁]]鑑賞』[[三一書房]] 1949
*『西洋と日本 他』朝日新聞社 [[朝日文庫]] 1951
*『遠くでかすかに鐘が鳴る』第一書林 1957
*『晩年の生活記録』第一書林 1958
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*ピールソン『価値論』[[河田嗣郎]]共訳 [[宝文館]] 1911
*フランク・フェター『物財の価値』評釈 [[有斐閣]] 経済学資料 1911
*[[アーヴィング·フィッシャー|フィッシャー]]『資本及利子歩合』評釈 [[博文館]] 1912
*アー[ヴィ]ング・フィシヤー, イゥジーン・エル・フィスク共編『如何に生活すべき乎』弘文堂書房 1917
*カアル・マルクス『賃労働と資本・労賃、価格及び利潤』弘文堂書房 1923
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*マルクス『政治経済学批判』宮川実共訳 改造社 1931
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== 家族 ==
実弟に画家の[[河上左京]]、義弟に日本共産党員として数々の事件を起こした[[大塚有章]]がおり、次女はその大塚に協力した地下運動家の河上芳子。
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{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:かわかみ はしめ}}
[[Category:日本の経済学者]]