「宇都宮二荒山神社」の版間の差分

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→‎境内: 4度の火災が起きた時期を本文に明記。なお出典では明治元年と記載されているが通例にならって慶応4年とした。
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== 境内 ==
当社の社殿は、かつては20年毎に立て替えられていた。また、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]以降は戦火あるいは失火による焼失に見舞われ、[[天正]]13年([[1585年]])の[[後北条氏]]の宇都宮侵攻の際、[[安永 (元号)|安永]]2年([[1773年]])の[[宇都宮宿]]における大火の際、[[天保]]3年([[1832年]])の火災の際、さらに[[宇都宮城の戦い|宇都宮戦争]]([[戊辰戦争]])での[[慶応]]4年[[4月19日 (旧暦)|4月19日]]([[1868年]][[5月11日]])の第1次宇都宮城攻城戦の際に焼失している<ref>[[天正]]十三年([[1585年]])、[[安永 (元号)|安永]]二年([[1773年]])、[[天保]]三年([[1832年]])、[[明治]]元年 [[4月19日 (旧暦)|四月十九日]]([[1868年]] [[5月11日]])の4回の焼失。出典は『[[下野国]][[一宮|一の宮]] [[国幣中社]] 二荒山神社略記』、(著者)森口奈良吉、(発行所)[[国幣中社]] 宇都宮二荒山神社々務所、(発行)[[昭和]]11年
([[1936年]])[[4月10日]]、9頁より。</ref>。現在の社殿は[[明治]]10年([[1877年]])に[[明治新政府]]によって仮社殿として再建されたものである。正面の石垣は江戸末期のもので、[[弘化]]3年丙午正月吉日の記載がある。
 
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