「倉敷紡績」の版間の差分

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* 三重工場([[三重県]][[津市]])
 
== 企業概要・沿革 ==
[[小松原慶太郎]]、[[木村利太郎]]、[[大橋澤三郎]]らが大原家などの出資を受け、現在の[[岡山県]][[倉敷市]]にて設立。
 
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初代社長に大原家から[[大原孝四郎]]が就任した。
 
== 沿革 ==
*[[1888年]]3月9日 「'''有限責任倉敷紡績所」'''設立。[[大原孝四郎]]が初代社長に就任)
*[[1889年]] 倉敷本社工場(現「[[倉敷アイビースクエア]]」)竣工
*[[1893年]] 商法施行により「'''倉敷紡績株式会社'''」と改称
*[[1895年]] 商標「三馬」で綿糸の輸出を開始
*[[1906年]] [[大原孫三郎]]が社長(第2代)に就任
*[[1909年]] 倉敷電燈設立
*1913年 倉敷紡績株式を[[大阪証券取引所]]に上場
*1915年 万寿工場(後の倉敷工場)竣工
*1918年 讃岐紡績を合併(後の坂出工場)
**同年 松山紡績を合併(後の松山工場)
*1919年 大原社会問題研究所設立
*1921年 早島紡績を合併(後の早島工場)
**同年 倉敷労働科学研究所開所
*1922年 岡山染色整理を合併(後の岡山北方工場)
*1923年 倉紡中央病院(現「[[倉敷中央病院]]」)開院
*1924年 日本メリヤス枚方工場を買収(後の枚方工場)
*1926年 倉敷絹織(現「[[クラレ]]」)を設立
*1933年 本社機構を大阪出張所へ移管
**同年 三豊紡績を合併(後の観音寺工場・丸亀工場)
*1935年 倉敷毛織を設立(後の津工場)
*1936年 北条工場竣工
*1939年 神社柳吉が社長(第3代)就任
*1941年 [[大原總一郎]]が社長(第4代)に就任
**同年 国光紡績を合併(後の長崎工場・今治工場・堺工場・仙台工場・青島工場)
*1942年 共同毛糸紡績、長谷川毛糸紡績、倉敷撚糸紡績を合併
**同年 東京出張所(現 東京支社)開設
*1944年 社名を「'''倉敷工業株式会社'''」に変更
**同年 軍需会社に指定。日本重工業、倉敷染工、倉敷航空機工業、紀陽染工、愛知精機を合併
*1945年 終戦時点で戦災等により生産設備の7割を失う
*1946年 「'''倉敷紡績株式会社'''」の旧社名に復帰
**同年 持株会社の指定を受け、16社の持ち株を[[持株整理委員会]]に譲渡
*1948年 山陽レース(現「[[倉敷繊維加工]]」)設立
*1949年 倉敷機械工業(現「[[倉敷機械]]」)設立
*1951年 安城工場竣工
*1953年 万寿産業(現[[マスティ倉敷]])設立
*1954年 共同羊毛工業(後の「倉敷ウール加工」)設立
*1957年 ブラジルにブラジル倉敷毛紡(現「[[クラシキ・ド・ブラジル・テキスタイル]]」)設立
*1958年 倉敷染工設立
*1962年 日本インスタント食品(現「[[日本ジフィー食品]]」)が関係会社となる
**同年 ナショナルリネンサプライ(後の「クラボウリネンサプライ」)設立
*1968年 タイに「泰倉紡」設立
*1969年 倉紡記念館竣工
*1988年 「クラボウ」を正式社名扱いとする
*1989年 群馬工場竣工
*1994年 鴨方工場竣工
*1996年 徳島工場竣工
*2012年 三重工場竣工
 
== 関連企業 ==