「旧石器捏造事件」の版間の差分

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== 影響 ==
日本列島の「前・中期旧石器」研究は、そのような古い時代の石器は日本にはいだろうという批判を当初は浴びていたが、藤村の発掘成果によって強力な裏づけを得て、[[1980年]]代初頭には確立したと宣言され、捏造発覚前は日本の旧石器時代の始まりは[[アジア]]でも最も古い部類に入る70万年前までに遡っていたとされた。しかし捏造発覚により、藤村の成果”、”偉業”もとに築かれた日本の前・中期旧石器研究は全て瓦解し、東北旧石器文化研究所は「学説の根幹が崩れた」と解散に至っている。さらに、捏造遺跡が学会から抹消されるのみならず[[日本史 (科目)|日本史]]の[[文部科学省検定済教科書|検定済教科書]]の石器に関する記述さえ消されるに及んだ。
 
また、[[中華人民共和国|中国]]、[[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]といった[[歴史教科書問題]]で日本と対立している国々は、それぞれの国内マスコミで本事件を「日本人が歴史を歪曲しているのが証明された」「一研究家だけの問題ではなく、日本人の歴史認識そのものに原因がある」と大々的に報道した<ref>[[原田実 (作家)|原田実]] 『トンデモ[[偽史]]の世界』 [[楽工社]]、2008年、237-240頁。</ref>。また、藤村の捏造発覚の翌年の2001年、[[週刊文春]]が[[大分県]]の[[聖嶽洞穴]]についても捏造の疑いありと3度に渡って誌面で展開し、この影響で発掘責任者であった[[賀川光夫]]が文春に対し、抗議の[[自殺]]をする事態が発生した。
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冷静にそれらの「石器」や出土状況を観察してみると、[[火砕流]]の中から出土するなど、不可解で不自然な遺物や遺跡であった事が明解だったわけだが、当の研究グループは都合のいい解釈をあてることでそれら事実を無視し続けた。中には数十キロも離れた遺跡<ref>山形県[[袖原3遺跡]]と30キロメートル離れた宮城県[[中島山遺跡]]</ref>から発見された石器の切断面が偶然一致した、というような信じがたい発見もあった。
 
発掘成果が出ない日が続いても、藤村到着の翌日か翌々日に「大発見」がある事、[[ゴールデンウィーク|黄金週間]]中に「大発見」が集中している事、「大発見」が藤村に集中していた事、等。現場で発掘作業する考古学愛好家一部から疑いも出ていたが、一介のアマチュアが証拠や確証も無く疑義を唱える事すら憚られる状況(※[[ハロー効果]])となっており、反証・反論を行うにはリスクの大きい規模に至っていた。後、発掘作業に参加していた角張淳一(当時、遺物整理・図化・分析会社アルカ代表)が[[竹岡俊樹]]に打診。<!--上原善広『石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』より要約-->
 
政府も、関連遺跡を国の[[史跡]]に指定したり<ref>[[座散乱木遺跡]]は1997年に国の史跡に指定されたが、2002年に同指定は解除された。</ref>、石器を[[文化庁]]主催の特別展に展示するなど<ref>文化庁が毎年開催している「発掘された日本列島 新発見考古速報」という展覧会には上高森遺跡、総進不動坂遺跡などの出土品が展示されたことがある。</ref>、周囲にこれら研究を無批判に歓迎し後押しする存在が多くあったことは捏造事件さらに拡大させ助長し、幇助させる役割が非常に大きかった。
 
本来、人類の普遍的価値遺産として扱われるべき歴史的事物について、その多くが[[観光]]資源の観点に偏るかたちで地域住民に認識され、商業的な効果を優先させるように取り扱われてきた実態が、今回の事件発覚によって明らかになった。
 
「前・中期旧石器」の研究が活発であった当時は批判が難しく、[[1986年]]の小田静夫・C. T. キーリによる批判論文以後、再び反論が開始されるのは[[1998年]]の竹岡俊樹の論文1点、及び2000年発覚前の[[角張淳一]](―2012.5.25)と竹花和晴の2名に限られる。考古学界は捏造発覚以前の25年間、捏造を批判した学者や研究者を排斥したり圧力を加える事によって、事実上の学会八分([[村八分]])にして、捏造批判の声が噴出する気運を押さえつけた。例えば、1980年代初頭、東京都教育庁の小田静夫(とキーリ)らが科学的根拠が疑わしく、軽石の降下や水害が相次ぐ痩せた土地に連綿と移住した要因が不明であり、発掘された(と称していた)石器の殆どは水平に埋設している上に単品で出土している、と指摘していた<!--科学者はなぜウソをつくのか――捏造と撤回の科学史2015/6/30
小谷 太郎 P203--><ref>[http://www.ac.jpn.org/kuroshio/86critical.htm 宮城県の旧石器及び「前期旧石器」時代研究批判(抄録)小田静夫・C. T. キーリ]</ref>。1998年以後の批判の要点は、問題の石器資料群が、本来あるべき前期や中期の石器として「おかしい」という批判である。こうした正当な批判は、新聞社のスクープまで、学界として省みられることはなかった。