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自然魔術では実践が重視されたため、陳腐なことから崇高なことまで、かなり幅広く行われていた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|p=47}}「崇高」の方には[[マルシリオ・フィチーノ]]がおり、生活の仕方と儀礼という形で実践し、自分の悩みの種であったメランコリー([[四体液説|四体液]]のうち黒胆汁が優勢な気質)と学者的な生活の関係を研究してライフスタイルの改善を提案した{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=47-49}}。「陳腐」の方には[[デッラ・ポルタ]]がおり、彼の著作『自然魔術』は、人工宝石や花火、香水の作り方、動物の品種改良、肉の焼き方、果物の保存方法などの雑多なレシピが大部分を占めていた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=47-49}}。
魔術は科学史の重要な部分であるとみなされている。中世から初期近代の「科学革命」の時期、神・人間・自然は互いに切り離されておらず、学者の研究範囲と意図は広大なものであった{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=38-41}}。16・17世紀には、コスモス的・自然哲学的な視点は、濃淡はあれ広く共有されていたがおり{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=38-41}}、ルネサンス期の自然魔術師たちによって、経験科学的視点の萌芽が現れた{{sfn|澤井|2000|p=162}}。17世紀後半には科学的研究で仕組みが解明される自然の事象も現れ{{sfn|澤井|2000|p=132}}、19世紀になると今日みられるような専門化された狭い観点に徐々に移り変わっていった{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|p=40}}。中近世ヨーロッパにおいて、宇宙(自然)は有機的につながったネットワークであり、人間はその中で周囲と調和して存在する、生きる実感を持つひとつの生物であった{{sfn|澤井|2000|pp=137-138}}。プリンチベは、現代的な研究法は知を細分化して成果を上げたが、世界をバラバラにし、人間の感性を宇宙から遠ざけ、根無し草にしたともいえると述べている{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|p=32}}。魔術を含む自然哲学は、包み込むような広い世界観を持ち、学者たちの研究動機や疑問、実践は、その世界観から湧き出していた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|p=40}}。磁力や虹など魔術の研究対象であった物事の仕組みが科学的に解明されると、秘儀性を取り除かれ公になった学知は近代科学技術に吸収されていき、残された解明されていない学知、科学ではどうしても解決できない現象が魔術とされた。当時中世~初期近代には、理性的な思想とはキリスト教的な知であった。魔術はキリスト教との対比で非合理と考えられたが、キリスト教と科学が分離したことで、科学的合理性の対局として、非合理なものとして魔術的神秘が置かれるようになった{{sfn|澤井|2000|pp=133-134}}。現在魔術というと、神秘的な魔法が想像されるのはこのためである{{sfn|澤井|2000|pp=133-134}}。
中近世キリスト教世界には、自然魔術以外の魔術も存在した。デッラ・ポルタは魔術を自然魔術と[[降霊術]]に分けている。[[トマソ・カンパネッラ]]は、モーセなど聖人が神の使者として自然を従わせて起こす「神的魔術」(奇蹟)、「自然魔術」(白魔術)、「悪霊魔術」(黒魔術、魔法)に分けて考えていた{{sfn|澤井|2000|pp=133-134}}。
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