「市川崑」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
141行目:
* いわゆる「市川組」出身の映画監督には、東宝の[[古沢憲吾]]・[[橋本幸治]]・[[手塚昌明]]、日活の[[舛田利雄]]・[[江崎実生]]、大映の[[増村保造]]・[[田中徳三]]・[[池広一夫]]らがいる。
 
なお[[和田誠]]・[[森遊机]]編の『光と嘘 真実と影 市川崑監督作品を語る』([[河出書房]]新社、[[2001年]](平成13年))では[[塚本晋也]]、[[井上ひさし]]、[[小西康陽]]、[[橋本治]]、[[椎名誠]]、[[宮部みゆき]]など各界の市川ファンが賛辞を寄せている。[[浦崎浩實]]は没後の「[[キネマ旬報]]」に「多様な様式を一人でカバーした“超”のつく巨匠だった」との一文を寄せた。官能小説家・[[安達瑶]]の片方である安達Oが熱烈な信奉者で、一時、助監督を務めた。
 
日本映画の巨匠としてはヒット作や大衆的人気にめぐまれたが、錚々たる受賞歴の一方で、[[キネマ旬報社]]の叢書「世界の映画作家」では最後まで採り上げられなかった。初期には東宝争議のしこりが原因で左翼系の批評家から目の敵にされ、後期には巨匠らしからぬ変幻自在な作風や、テレビや娯楽映画も厭わずにこなす姿勢への批評家側の戸惑いがあった。「ビルマの竪琴」「幸福」や1950年代の風刺喜劇に若干の例外的要素は見られるものの、この年代の巨匠としては社会的テーマを前面に打ち出した作品がほとんど存在しないのも稀有である。こうしたこともあって、市川作品を嫌う批評家も晩年期に到っても少なくなく、[[蓮實重彦]]、[[山根貞男]]らは全く認めようとしなかった。