「桂米朝 (3代目)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
58行目:
=== 上方落語四天王らの復興尽力 ===
{{Anchors|上方落語四天王|四天王}}
入門当時には衰微を来たしていた上方落語の復興を願い、共に'''上方落語四天王'''と讃えられた[[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]]、3代目桂小文枝(後の[[桂文枝 (5代目)|5代目桂文枝]])、[[桂春団治 (3代目)|3代目桂春団治]]らと[[東奔西走]]して尽力した。現在の上方落語の隆盛は米朝・松鶴らの功績であるというのが衆目の一致する処である。一言に東奔西走といっても、地方においては[[昭和]]40年代(1965年 - 1974年)であってもなお、落語に対する理解は低く、米朝が高座に上がって落語を始めても、客からは「何を一人で喋ってるんだ? 遊んでないで早く落語を始めろ!」と野次が飛んでくる有様だった。地方に於ける落語の一般的認知は複数の演者が舞台に上がり問答笑いを取る大喜利、演芸テレビ番組の『[[笑点]]』でやっている[[大喜利 (笑点)|大喜利]]が落語であると、その程度の認識であり、その苦労は並大抵のものではなかったのである。
 
=== 文化貢献への評価 ===