「桜緋紗子」の版間の差分

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同期生には[[神代錦]]・[[園井恵子]]らがいて、寄宿舎で同室となった園井とは特に仲が良かった。[[春日野八千代]]・[[葦原邦子]]は[[宝塚歌劇団18期生|一期上]]の上級生にあたる。芸名「桜緋紗子」は[[吉野山]]で見て感動した[[桜]]と[[小倉百人一首]]の[[紀友則]]の句「久方の 光長閑けき 春の日に 静心無く 花の散るらむ (ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづごころなく はなのちるらむ)」に由来。
 
いい役に恵まれず4年が過ぎるが[[1933年]]11月、[[岸田辰彌]]に『プリンセスナネット』の主役に抜擢される。[[草笛美子]]の急病による降板で廻ってきたチャンスを掴んだ。[[1934年]]、[[星組 (宝塚歌劇)|星組]]に編入され『ラッキー・エール』のメリーを演じた後、『[[アルルの女 (宝塚歌劇)|アルルの女]]』で[[男役]]スター・[[葦原邦子]]と組んでベルタを演じ、情熱的な瞳と可憐な雰囲気の娘役として売り出し、『憂愁夫人』で再び葦原と組んで[[ヒロイン]]・サラーを演じ圧倒的な人気を獲得した。
 
その後『おゝハリエット』のハリエット、『飛鳥乙女』の阿佐香、『フロラ行状記』のフロラなどで華麗な舞台姿を見せ[[1937年]]、[[専科 (宝塚歌劇)|声楽専科]]に加えられ[[堀正旗]]演出の『黎明』で[[小夜福子]]とコンビを組み、『[[忘れじの歌]]』のジェイン、『スヰート・メロディ』のコンスタンチナ、『レッドホット・アンド・ブルウ』のグロリア、『白鳥の死』のケーテなど、カンちゃんの愛称で宝塚のプリマドンナとして一時代を築いた。
 
しかし将来舞台女優として生きたいという希望があって[[1940年]]3月、宝塚を退団し[[新派|新生新派]]入り。これにあたり[[川口松太郎]]や[[水谷八重子 (初代)|水谷八重子]]らの尽力があった。同年[[明治座]]『平和な物語』で初舞台、また[[新興キネマ]]の『晴小袖』や『国姓爺合戦』など[[映画]]にも出演した。その後新派の後援者と結婚し新派を退くが1年で離婚。心機一転、知人の紹介で[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]にあった呉羽航空機(現[[三菱ふそうバス製造]])に就職、支社長秘書となる。戦後は[[有楽町]]の[[洋裁|洋裁店]]で働く。